高島の紹介 

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長崎市高島町は長崎港から高速船で35分の高島をはじめ、端島(通称 軍艦島)、中ノ島、飛島の4つの島からなり、有人島は高島だけ。町の面積は、4つの島を合わせて、1.34平方キロメートル、合併前は、日本で一番小さな町でした。

1868年(慶応4年)に、トーマス・グラバー氏が本格的に炭鉱開発を始め、最盛期の1966年(昭和41年)には、年間153 万9500トンの最高出炭量を記録。このころには、両島合わせて約22000人が住み、高層アパートが建ち並んでいました。特に端島は、面積 6.3haほどの小さな島に、5000人を超える人が生活しており、端島の人口密度は世界一といわれていました。
現在の高島の人口、747人(平成19年2月1日)。
2008年6月のテレビ放送によると、600人余りということです。

1974年(昭和49年)1月15日、端島が閉山し、同年4月20日に端島は無人島に。
1986年(昭和61年)11月27日、高島炭坑も閉山。
1997年(平成9年)7月、「飛島磯釣り公園」と「人工海水浴場」がオープン。
その後「高島町海水温浴施設アイランド・テラピーいやしの湯」、「高島町ふれあい多目的運動公園」がオープン、多くの方に楽しんでいただける島へとなっています。

高島行政センター広報紙
残念ながら、2007年4月で発行終了してます。

サイト名について

ブログを始めた時は「石炭の島だった」と言うブログタイトルだったんですが、なんだか過去形のような感じがしてたので、変更したいと思っていました。
9月中旬の午後、港で帰りの船を待っている時に、気持ちの良い風が吹いてきて、外の海を見るとキラキラと、爽やかな夏の余韻を感じました。「ああ、これがこの島の光と風だよな」と、タイトル名に戴きました。

このブログ内の写真等を無断転載することは固くお断り致します。

ソテツ 

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ソテツが実をつける季節です。
二子地区の道路沿いに植えられています。実は食べられんかな、と調べたら、食用にもなるらしい。砂漠の緑化にも利用されているとか。出荷出来ないでしょうかね。

風車 

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正確な建設時期は分かりませんが、12、3年ほど前くらいでしょうかね。近くまで行きましたが、風を切る音が結構します。頂上まで行く元気がありませんでした。
島と言うこともあって、一年中風が吹かない時期はないので、風力発電には向いているのでしょう。

調べてみると、
「出力600kWの風力発電機(風車)は、年間約170万kWhの発電量をまかなっています。一般家庭の約450世帯分です。そして年間約400トンの二酸化炭素を削減しているといいます。」
と言うことです。

山道 

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えーっと、何処と言えば良いのか、忘れてますが。
港から警察署の側を通って、金松寺、中学校方面へ向かう途中の山道の階段です。すっかり植物に覆われて、通れなくなっていました。子供の頃、船の中で寝てしまい、親に背負われて登っていた階段です。
写真の左手の方の階段道は通れます。お好み焼き屋さんがあって方になるのかな。
石畳の階段だったような覚えがあるんですが、島を離れている間にコンクリートに変更されてました。

マンホールの蓋 

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以前は気にもしていなかったのですが、アチコチ行くとその町独自のデザインにお目にかかれます。
島っていうこともあって、サカナのデザイン。今度行った時は、他の場所も見てみます。

トマト畑 

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先月、植える準備をしていましたが、もうこんなに大きく。早い成長です。
来春には美味しいトマトになってくれるでしょう。

合同文化祭 

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24日、幼稚園、小学校、中学校の合同文化祭が開催されました。
途中からでしたが、「弁論」「エイサー」「修学旅行の思い出」「龍踊り」「高島太鼓2009」「姫大蛇」を鑑賞出来ました。
ワタシの頃は子供の数が多くて、出演者が限られ、見る側にまわることがほとんどでしたが、子供たちは次々に演技を披露していました。
修学旅行は中一、中二、中三、全員一緒に行くので、三年に一度の楽しみな行事になっています。「姫大蛇」は昨年と演出が違っているように感じましたが、昨年の記事を見ると、大蛇が三匹いました。生徒数の減少で、今年が最後になるだろう、とのことでした。