アパートの間取り 

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ずいぶん前に頂いていて、書き起こそうと考えていましたが、なかなか出来そうもないので、そのまま掲載します。
アパートで暮らしたことのある人なら、見れば直ぐに理解できると思います。ダストシュートなど、懐かしいモノです。
このアパート群以前の蛎瀬1~4号などはどんな間取りだったんでしょうか。それほど違いはないようにも思いますが、ご存じの方が居らっしゃたら、教えて下さい。

端島支所下っぱ用務員さん、提供ありがとうございます。

MESSAGE IN A BOTTLE 

英国のロックバンド、The PoliceのMessage in a Bottleが流行ってた頃、「あ、これやったことある」と思いだした。
小学校5年生だったと思うが、NHK教育で「手紙を入れた瓶が潮流にのって、カリフォルニアに届いて返事が来た」と言う番組を見て、ミーハーなわたくしも「アメリカから手紙が来るかもしれない」とやってみました。
覚えたてのローマ字と漢字で住所氏名と「TEGAMI KUDASAI」なんて、書いて。(アメリカ人には分からんて)
ところが、ウチにあるのはビール瓶と一升瓶くらいで、今みたいにペットボトルも無いし。なんとか、適当な瓶を見つけて、ボンドでしっかり封をして、流しに行きました。
小島のグラバー別邸の下あたりから飛島方向に「エイッ」と投げると、風もあって、上手く流れに乗って、あっという間に飛島と日吉岡の間に流れて見えなくなりました。無事に行ったやろかと、しばらく眺めていましたが、今思うとそっちは三和町、野母方面。アメリカは遠いなあああ。その辺の海底に沈んでいることでしょう。
実は懲りずにもう一回やりました。オバカな小学生ライフでした。

テレビが来た日 

幼稚園から帰ると、家族が揃っていた。これからテレビを買いに行くと言うことで、私の帰りを待っていたようだった。父は仕事着のまま駆け付けていて、その当時テレビを買うということが家庭の一大行事の証であろう。今なら、クルマを購入することに匹敵するのではなかったろうか。

現在の行政センターの正面の海側に商店が軒を連ねていて、たしか「村田電気」店で購入した。画面は16インチくらいの昔風の丸いブラウン管。もちろん、緞帳のテレビカバー付きである。4本足の物を選び、母が「これで良いかな」と決定していた。
近所にはテレビの無い家庭もあり、6時過ぎから8時くらいまでは毎日のように誰かしかが見に来ていた。それから、一年もしない内に伝染病のように普及して行った。

このテレビ、二度程修理したが、丈夫で中学3年生まで使っていた。まだ映るからと、カラーテレビに買い替えるのは遅かった。
1960年(昭和35年)のことです。