ご無沙汰 

ネタ切れと帰島も出来なくて、長いこと更新も出来ない状態です。
今度は帰ろうと予定してても、急な用事などで断念することが続いています。

明日から12月、今年も残り少なくなって来ました。

8月30日 

昭和34年(1959)
三菱九州場所対抗卓球試合が、13砿より集い小学校で開催される

昭和61年(1986)
読売新聞に「高島11月閉山、従業員の半数は就職先が決まっている」と報じる 

昭和62年(1987)
大型台風12号で、大きな被害を被る
発電所の停電による養殖水槽の酸欠によるヒラメ全滅と言う大打撃を受けたほか、桟橋の流出による31日までの全便欠航、西海岸公園の体育用倉庫倒壊及び海岸の松全て倒れ、蛎瀬下請事務所の倒壊などと各地区大きな被害を被った。

平成9年(1997)
行橋子供劇場メンバー来島
福岡県苅田町で活躍している子供劇団の大人16名・子供6名の一行が9時30分高島着、直ちに中の島で磯遊び後、獲物でバーベキューを楽しみ、夜は「うりずん」で高島についての話を聞き一泊し、翌日帰福。

8月29日 

昭和2年(1927)
石炭沖仲仕の争議妥結
月収15円~16円足らずでは生活が困難として、8月20日、5ヵ条の要求書を提出し、炭坑社で交渉。

昭和21年(1946)
引揚同胞援護資金募集浪曲会 
入場料10円

昭和60年(1985)
光町木造社宅解体開始
木造1号~8号・9号・15号の10棟を先に会社より町に譲渡され、解体を開始。

8月28日 

明治18年(1885)
コレラ発生で金堀に避病院を建築し医師3名雇入れ、避病院追々増築し10棟の多きに至る

昭和59年(1984)
高島で初の胃ガン検診を実施
県の胃ガン検診者を初めて高島に招き、30日までに検診。

平成6年(1994)
高島中学校PTAが、郡PTA研究会で発表
西彼杵郡PTA連合会の指定校となり、多良見町民センターで開催の研究大会で「地域におけるPTA活動について」を意見発表。

8月27日 

昭和29年(1954)
端島に、日本初のドルフィン式可動式桟橋が完成
28年12月上旬着工以来、10ヵ月の難工事の末に、総工事費2,100万円で完工するが、波高3mに耐える日本初の桟橋と言われている。

昭和36年(1961)
高島高等学校全日制設立推進委員会発足

昭和42年(1967)
高島高校、高島公園で音楽の夕べ開催
高校音楽部は、町民慰安の目的で、高島公園で「音楽の夕べ」を開催するが好評で、請われ29日には、端島で演奏会を開催。

7月~8月未曾有の水飢饉

8月26日 

昭和24年(1949)
高島町漁業協同組合を結成
組合員62人で発足、初代組合長に島内鷹次氏が就任。

小学校34年(1959)
小学校木造校舎解体工事を実施
鉄筋校舎2期工事のために解体が始まるが、思い出の校舎の最後をカメラに収める父兄の姿が見られた。なお、工事のために、1年生・2年生は一週間交替の二部授業になり、給食室の解体に伴い、給食は中止。

昭和58年(1983)
労組、山陰地方豪雨犠牲者救援カンパ活動を実施
71,500円のカンパ金が寄せられる。

昭和59年(1984)
長崎汽船、新船を運航
新船「せい丸」を運航、運航に伴い、9月1日より運賃が値上げされる。
従業員 315円(片道)585円(往復)
一 般 630円(片道)1,170円(往復)
町では、新船就航記念として、運賃値上げを配慮して、61年3月までの使用期間の無料特別乗船券を10月18日に交付。2等往復割引券(2枚1組×2組)と片道券1枚計5枚。

平成8年(1996)
KTNテレビ「それいけ夢キャラバン」で高島の史跡を取材
26日・27日の2日間にわたり、手塚美紀子アナが東内の史跡を尋ね、町のチャンピオンを取材したり、「味っ子クラブ」の郷土自慢料理を紹介する等の取材を行い、9月6日テレビ放映。

平成9年(1997)
議会議員が下水道処理施設を視察

8月25日 

昭和25年(1950)
二子地協婦人部、坑内見学に入坑
女としては、初の入坑が二子地協婦人部で行われたが、意義深い坑内見学であったと好評。

昭和31年(1956)
赤痢が発生
8月に入り赤痢が発生し始めたが、台風後殊に患者が増え、25日現在148名となり、町・砿業所を中心とした「防疫対策本部」を設置。

昭和34年(1959)
人形劇を開催
武道場において、矢野洋三先生を招いて開催。

昭和41年(1966)
高島中学校全国PTA会長賞受賞
東京芝公会堂で全P会長表彰を受け、なお、42年8月9日には、文部大臣表彰を受賞。

昭和50年(1975)
長崎日日新聞に「高島砿本年度中に閉山か」の記事に労組抗議
長日新聞に「通産省は、本年度中に高島・天草志岐砿両砿の閉山計画の石炭鉱業審議会の答申を了承」との見出しに、労働組合はその出所を厳しく抗議の結果、26日「閉山は天草砿」と訂正記事を掲載。

昭和51年(1976)
高島の電話がダイヤル式通話に切替える
6月14日~16日各地区において電話架設の説明会が行われ、25日より正式に通話を開始。