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閉山の日 

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今日は高島炭鉱が閉山した日です。
1868年(慶応4年)に、トーマス・グラバー氏が本格的に炭鉱開発を開始以来、1986年11月27日、120年近い炭鉱の島としての歴史に終止符が打たれました。
明治以来、経営の移り変わり、戦後の経済政策や今年の市町村合併なども含めて、時代の波に翻弄されて来ました。
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池島の写真 



世界平和を願う写真家集団「テルツォ・オッキオ(第三の眼)」、18人の各国の写真家の展覧会が開催されています。
高島在住の柿田清英氏が「池島の写真」で参加されています。
高島と似た様な風景。炭坑従事者の素顔。どの写真も美しいモノクロプリントで、昨日のことの様に暖かく感じられます。

写真展 IMMAGINA in NAGASAKI
日 時 2005年11月23日~12月8日。
場 所 長崎ブリックホールギャラリー

石炭の積み出し 



写真の状態が悪いですが、石炭の積み出しをしている船じゃないかと思います。
1975年8月。

蛎瀬砿罹災者招魂碑 



この慰霊碑は明治39年3月28日に発生した坑内ガス爆発で、殉職された307名の霊の鎮魂のために建立されたものです。

高島中学校グラウンドの四阿 



まだ、健在です。
小学生の頃からあるので、40年以上になるのではないでしょうか。テーブルは当時のまま。椅子は一部コンクリートで補修してありました。
放課後のクラブ活動の荷物置き場等に使われていて、にわか雨になると避難していました。

ボタ山 



1975年8月当時のボタ山。蛎瀬の堤防の端からの撮影。
島を出る前は二段目は無かったのに、随分大きくなっていました。10年後の閉山時にはもっと大きくなっていたのでしょう。

三菱高島クラブ跡 

高島でも好きな場所の一つでした。
現在の入り口付近の状況です。以前と同じように芝生が残っています。右側に植物が植えられていました。


ソテツが植えられていた石囲みの跡。
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これは今回、初めて気付きました。崖をくり抜いて倉庫の様に使っていたものと思います。グラバー園にも食料庫として使っていた穴倉が残っています。
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写生や虫取りに来た懐かしい場所。閉山時まで残っていたようですが、惜しい建物です。

追記
戦時中は防空壕として使われていたそうです。

空の上から 

Google Earth で遊んでみました。
高島、中之島、端島と見えます。こうして見ると端島は本当に小さな島だった事が分かります。
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