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山手アパート 

山手プールをはさんで、右側が緑丘、左側が山手地区、階段状にアパートが建ち並んでします。遠くの4階建ては一番古い蛎瀬アパート。高島らしい風景の一つでしょうか。
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2006年1月、現在の様子。プールは埋め立てられ、桜の公園になっています。
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中学校 



多分、高校のグラウンド横から中学校の校舎(縦、横二棟)を見ています。時々昼休みに屋上に出て、日向ぼっこしていました。
丸い屋根は高校の体育館だったかな?

高島トマト 

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ビニールハウス内の高島トマトが大きくなっていました。まだ、青いですが、今年も美味しくなっているでしょう。
高島トマトは、ファーストトマトといわれる種類で、より原種に近いとか。厳しい条件で生育させるため、糖度12~13度と高く、ビタミン豊富な美味しいトマトになるそうです。

本町、教会方面 

中学校横から見ています。
中央の二階建ての建物は女性教職員の単身寮、ナデシコ寮かコスモス寮って言ったか。手前の木が散乱している所は四年前の大火の跡。


現在の様子。2006年1月。
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旧高島中学校 

現在は小学校と一緒に「高島小中学校」となっています。
私たちの頃は一学年10クラスありました。


現在も変わらず。2006年1月。
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本町方面 



高島カトリック教会付近

小島漁港 

小島から本町方面を見て。小さな木造船で浜が埋め尽くされていました。
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ガードレールが出来ていて、浜は綺麗なものでした
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小島漁港 

正式には「南風泊漁港」と言うそうです。
本町方面、中学校(現小中学校)や建ち並んでいたアパート群。


最近の様子。少し手前から撮影。埋め立てが拡張され、港湾施設が整備されています。赤い屋根は高島カトリック教会。
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日吉岡 

小島の松林から日吉岡方面。
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小島漁港の堤防の端から見ています。



本町グラウンド崖下 

グラバー別邸から崖下を見ています。
よく磯遊びに下りて行った場所。


少し下向きですが、、消波ブロックでふさがれています。
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第一声 

昨日、長崎県知事選挙が告示され、高島出身の女性候補者が高島で第一声をあげました。

小島 



小島のグラバー別邸から本町方面を見ています。

ガスの浜 

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つい、四、五年前には自営業者以外、自家用車を持っている島民はほとんどいなかった、と思いますが、この頃はモータリゼーションの波が小さな島にも押し寄せて来ていたようです。カーフェリーの就航も車の搬入に一役買ったのでしょう。
直ぐに廃車も出ていたようです。

野母船 



長崎・伊王島から高島めざして一直線に。

古い堤防 

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旧小学校近く、百間崎の堤防跡。現在は埋め立てれて、遊歩道や公園になっていますが、この堤防の右側は海でした。小石で覆われていて、堤防の切れている所が階段や坂で海に下りて行けました。1970年代以前は精霊流しが行われていた場所の一つです。
下の写真の左側に一連の堤防が見えています。

光町方面 



丸いカマボコ型の建物は光町公設市場だったかな。一階が高島の商店、二階が野母方面から来ていた野菜屋さんが入居していたと思います。
細い櫓のような物は港の隣にあった船を陸揚げ出来る様な施設だったでしょうか?
遠くに小学校が見えています。体育館は現在も海水浴場に隣接しています。木造校舎もこの時はありますが、翌年には無くなっていました。校庭に消波ブロックが置いてあり、工事の最中だったようです。

遊ぶ子供たち 



アパート下の空き地で遊んでしました。ペッチャンをしているのかな。まだ、整地されていない所もあったようです。

幼い姉妹 

権現山公園で遊んでいた姉妹。
松ぼっくりや枯れ葉をいっぱい集めていた。
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振り返り振り返り、帰って行きました。元気にしてるかな。

宮原坑跡 

1898(明治31)年開坑、1931(昭和6)年、閉坑。
第二竪坑櫓
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巻揚機室
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ガイド氏の説明によれば、三池炭坑の炭層は有明海の下を通って、高島・端島に繋がっているだろうと言うことでした。
所変わればで、高島の櫓はストレートな直方体の様な感じでしたが、こちらの櫓は台形の物でした。

古い鳥居 

高島神社の古い鳥居
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今もあります
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宮浦坑跡(大牟田) 

1887(明治20)年開坑、1968(昭和43)年閉坑。
斜坑なので、竪坑櫓はありません。
1923(大正12)年に開坑された坑口。現在は封鎖されています。
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人車
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重機など
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現在は「宮浦石炭記念公園」となっています。

神社下 



車が通れるように拡張されていました。
正面は墓地。

万田坑跡(荒尾) 

昨年12月、大牟田・荒尾の炭坑跡を見学に行ってきました。
生の竪坑櫓を目の前にすると、思わず血が騒いで興奮してしまった。

現存する第二竪坑櫓
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巻揚機室
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竪坑櫓下から
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浴室
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軌道跡
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万田坑は1902(明治35)年に開坑し、1951(昭和26)年に閉坑。深さ約270メートルの竪坑が二本掘られ、石炭の搬出は第一竪坑、人員、資材の昇降や排水・換気は第二竪坑でおこなわれていました。

金堀社宅から二子方面 



金堀社宅から二子方面を見ています。右手の高層アパートは独身寮でしたか。名前を忘れました。もう一つ、独身寮があったような。

蛎瀬事業所 

軌道跡。線路は残っていましたが、貨車が動いているのは見たことがありません。子供の頃、昭和34、5年くらいにも稼働していた記憶がありません。
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櫓の下あたり。斜めになったコンクリートの上に登って遊んでいました。
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蛎瀬事業所 

竪坑櫓と古いレンガ作りの建物跡。
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柱だけで、中は1.5メートル程の深さがありました。埋め戻した感じだったので、元はもっと深くなっていたような気がします。年長のガキ大将が「原爆で壊れた」と真しやかに言っていましたが、高島までは被害はおよんでいません。戦前からの建物だったようなので、戦争の被害を受けた可能性はあったかもしれません。
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蛎瀬事業所 

堤防近くに砂利が積んであり、新しい工事があったのかも知れません。使われていない様な古い建物もありました。
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広報ながさき1月号 

合併から一年。新しいまちづくりのカタチとして、
高島地区
1 「しまの宿五平太」の改修
2 合宿・研修専用の新たな宿泊施設の整備
3 合宿・研修に係る海上交通運賃の助成制度の創設
と、ありました。
合宿・研修と限られていますが、運賃の助成制度が盛り込まれているのは一歩前進でしょうか。

気がかりなのは県政だより1月号に「伊王島大橋」が平成22年度供給開始予定とありました。そうなれば、船便の減少などが予想されます。

蛎瀬事業所 

以前は社宅などが立ち並んでいましたが、撤去され、西浜の高層アパートの方に移動していました。


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蛎瀬事業所 



蛎瀬の竪坑櫓、円筒形のものは通風孔?
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