3月31日 

明治14年(1881)
高島炭坑が三菱(岩崎弥太郎)に譲渡される
3月1日、譲渡契約書が後藤象二郎と岩崎弥太郎との間に締結され、3月31日「高島炭坑売渡証書」が渡され、「後藤象二郎稼行スルトコロノ高島炭坑ノ権義一切ヲ譲受ケ象二郎ノ負債消去並ニ営業諸勘定ヲ処理ス。総額971,675円25銭」これにて譲渡完了。後藤は弥太郎に書簡を送り「数年之困苦一時ニ洗除シ心持ニテ、昨夜来快然之至ニ御座候」と記している。

昭和26年(1951)
高島港、南防波堤完成
23年9月に着工し、事業費9千万円で150mの防波堤が完成。

昭和31年(1956)
高島中学校の4教室が完成
総事業費4,261千円(うち国庫1.563千円、起債1,200千円)で、木造2階建て、面積297㎡の普通教室4室が完成。

昭和36年(1961)
町長公舎完成
本町に総事業費1,392千円で木造平屋瓦葺1棟、面積115.7㎡の公舎完成。

昭和42年(1967)
第1老人クラブ集会所完成
旧尾浜武道場の上に、面積73.10㎡、木造平屋建、総事業費1,350千円。

昭和43年(1968)
北郵便局が完成
緑ヶ丘登り口に、面積75.6㎡、ブロック造平屋建、総事業費3,610千円で町が建設し、郵政省に貸与。

昭和46年(1971)
南風泊港の物揚場完成
小島プール前埋立地に、総事業費15,130千円(うち県費2,225千円)、延長30m、水深2mの物揚場が完成。

昭和49年(1974)
本町集会場が完成
教会の上に、総事業費3,437千円で木造モルタル平家建、面積212㎡の集会所を建設。

昭和51年(1976)
文化財保護審議会を設置
文化財の保存および活用に関する事項を調査研究し、必要事項を教育委員会に建議することを目的に設置。委員は5人以内、任期は2年。

昭和52年(1977)
町選挙管理委員会が、第34回衆議院議員選挙の業績により、都府県選挙管理委員会連合会表彰を受賞

昭和53年(1978)
高島中学校の運動場の整備および玄関前緑化事業が完成
総事業費17,135千円で、52年11月に着手し、運動場の整備及び玄関前緑化事業が完成。

昭和54年(1979)
庁舎増改築を施工
庁舎内の倉庫解体跡地(郵便局側)に、予算額17,421千円で、木造モルタル22階建、面積163㎡で増改築。1階は、書類倉庫と印刷室、2階は、町長室と議員控室。

3月30日 

大正7年(1918)
鉱夫慰安運動会を開催
百間崎に諸種の運動に適するグラウンドを新設し、小学校生徒も参加して慰安運動会が開催される。

昭和23年(1948)
第5回同窓会を開催
21年に再興第1回同窓会が開催され、今回昭和16年卒業の親養会が当番級として主催。

昭和49年(1974)
端島支所、各施設閉所式並びに小中学校廃校式を挙行
関係者臨席のもと体育館で挙行。小中学校旗が町に返納された。

不燃物処理場が完成
焼却場手前に、総事業費11,280千円(うち県費2,830千円)で組立て式プレハブ2階建、面積49.5㎡にガラス破砕機・ゴミプレス機・天井クレーンを設置した処理場を建設。

昭和58年(1983)
権現山展望台が完成
高さ9m・直径9.4m・事業費2,893万円。

平成元年(1989)
養護老人ホーム「高砂荘」新築し移転
仲山、木造社宅並びにBアパート跡地に建設。3月20日に完成し、緑ヶ丘、改良アパートのホームより移転、工費350,262千円。

平成4年(1992)
丸峰商店の菓子が、県特産品新作展に入賞
第23回の新作展に、丸峰商店のトマトで作った「ヘルシーようかん」が、出品139点中10点入選作品の一の奨励賞を受賞。

平成5年(1993)
高島中学校体育館大規模改造工事竣工
平成4年11月7日に大規模改修工事に着工し、本日竣工する。鉄骨部分のみを残し、全面改造する。

平成9年(1997)
郡バトミントン一般の部春季大会で準優勝
閉山前は、活発に活動していたバドミントン部の復活を思わせる、郡大会女子Aクラスで近藤、萩島ペアが準優勝。男子はBクラスで松尾、三浦ペアが3位に入賞。 

平成10年(1998)
海水浴場など植栽工事

3月29日 

昭和23年(1948)
新組合役員選挙を実施
第一・第二組合の幹部は、新組合には立候補しないとの申し合せを守り、それぞれの組合よりの推薦者が無投票により役員に選出。

昭和24年(1949)
新組合員選挙を実施
21日立候補を受付け、組合長5名、副組合長2名立候補、23日立会演説会を行い、本日投票の結果、組合長本田清孝、副組合長松尾亀一を選出し、両組合はこれを機にそれぞれ解散総会を開催。

昭和34年(1959)
山手に厚生課売店を開店
山手生協横よりプールの方に上がる途中に、会社売店を建築開業。

平成2年(1990)
三菱石炭鉱業(株)解散
高島事務所は、高島残務整理事務所となる。

3月28日 

178_7816.jpg

178_7815.jpg

明治39年(1906)
蛎瀬坑ガス爆発、307人死亡の大事故が起こる
9時30分大音響とともにガス爆発し、入坑者307人全員死亡という操業以来の大惨事が発生する。
6月10日、丸尾頭山腹に弔祭堂を新築し大法会が執行され、7月弔祭堂上段の地に罹災者招魂碑が建立される。法会が行われた跡地には、桜樹が植えられ「弔祭場」として愛称されている。

昭和21年(1946)
新生第1回高島小学校同窓会開催
戦争で中断されていた高島小学校同窓会(20歳になると同窓会の当番に当たり、演芸を主とした会を催していた。)を復活。昭和12年度卒業生が新生同窓会として共和会館で実施。
以後、昭和27年第9回(20年卒業組)まで開催。

昭和22年(1947)
県主催優良米供出農村慰問演芸 ~29日
県の要請で、高島芸能連盟員(高島・端島)は、県差回しのトラックで、西彼亀岳村を慰問、優良農家表彰式後、演芸会を開催。

昭和32年(1957)
簡素化結婚披露宴の模擬宴が、主婦会・青年部主催で開催
簡素化運動に呼応して、披露宴の模擬宴を別館で関係者に披露。

3月27日 

明治5年(1872)
「鉱山心得」発令
此鉱物ナルモノ都テ政府ノ所有トス、故ニ独リ政府ノミ之ヲ開栽スルノ分儀アリ。

昭和21年(1946)
高島地区、演芸会を開催

昭和61年(1986)
高田知事を団長とする陳情団上京
高田知事・県会議長・各関係町村長・議長の総勢30名、国会・通産省・石炭各社に陳情。

平成12年(2000)
老人デイケアサービスネンター「うるおいの里」落成記念式典を開催
4月1日から始まる介護保険の在宅介護支援センターで、3月30日には、一般の見学会を実施。敷地面積1,762.96㎡、建築面積410㎡、鉄筋コンクリート平家建、総事業費211,589千円。

3月26日 

明治43年(1910)
夕顔丸遭難する
14時30分頃、百間海岸で帆船3隻難船の知らせに救助に向かうが、激浪に夕顔丸自体を舵を取られ座礁、船底の半ばを礫石中に突っ込み、翌日の船により無事引き降ろされ帰港する。

昭和10年(1935)
端島坑で、ガス爆発事故が起こり、多数の死傷者
21時30分頃、爆発が起こり幹部全員現場に赴き密閉作業に従事中、第二回の爆発があり、小川坑長以下25名殉職。20数名の負傷者が出る。

昭和47年(1972)
高島町第1回社会教育大会開催
1日目の26日10時にテープカット後意見発表、2日目は作品展示と映写会を開催。

昭和51年(1976)
青少年問題協議会を結成

平成4年(1992)
町の育苗ビニールハウスで育てた、花苗を各地区に配布
花一杯のふるさとづくりとして、育苗されたいた初めての花苗(8種類)が各地区に配布され、町民総出で植え付けられる。

平成12年(2000)
高島2000座ー桜吹雪の演芸会開催
ふれあいセンターで、高島町ふれあい文化祭として、長崎の各種グループによる「津軽三味線・江戸芸、大江戸玉すだれ、新国舞踊・琉球舞踊」や歌などが披露され、300名余の観客から大拍手が起きた。

長崎カピタン会員島内史跡巡りに来町
長崎市小曽根、船のホテル(旧青函連絡船、大雪丸)の船長を含む船愛好会員12名が来町し、夕顔丸の話に耳を傾け、島内史跡巡り、ちょうど開催のふれあい文化祭を見て帰崎。

3月25日 

明治16年(1883)
坑内の馬使用を減ずる
一坑、空気流通悪化のため、度々坑内馬が斃死するので、馬8頭を減じて箱押し10人を採用。うまくいったので4月3日東鼠の箇所で馬4頭を減らし馬丁4人を解雇する。

昭和21年(1946)
二子旧発電所火災
11時頃、電気工事中に出火し、作業中の電気砿員数名火傷。

昭和25年(1950)
第7回小学校同窓会総会・演芸会を開催
当番級は、昭和18年卒業(伸明会)主催。

昭和29年(1954)
砿業所、職業安定寄与の功績により、知事表彰を受賞
職業安定法及び失業保険法制定6周年記念に当り、職業安定に絶大な貢献をした功績により受賞。

昭和36年(1961)
京都薬科大学生、従業員慰安演奏会
京都薬科大学ブルーハワイアン同好会による慰安演奏会が18時より協和会館で開催。翌26日10時より入院患者を慰問。

昭和51年(1976)
広域無線放送を開始
総事業費13,180千円で、送信所2基、受信所7ヶ所を設置し、無線による町内放送を開始した。

昭和58年(1983)
医師住宅2戸完成
尾浜地区の両丘に向かい合って医師住宅2棟(木造平屋建、面積104.19㎡と92.64㎡)が総事業費3,110万円で建設。

3月24日 

昭和27年(1952)
長崎学生寮が火災
長崎市松ケ枝町にある従業員子弟の長崎市内通学生のための学生寮が、14時15分出火し50坪を全焼。

昭和33年(1958)
生活協同組合蛎瀬支店が開店
蛎瀬から本町に行く、三叉路の村田電気店の土地に開店。

昭和36年(1961)
トリスバー「河」協和会館前に開店


昭和63年(1988)
雇用促進事業団長崎技能開発センター高島分所修了式を開催
閉山後、溶接技能士を主として開所され、22名が訓練を終え修了式を開催。

3月23日 

平成8年(1996)
福岡、高校地理部会の先生来島
6名来島され、9時より13時10分まで島内を視察。

3月22日 

昭和31年(1956)
高島初の映画シネマスコープ「ピラミッド」を上映
協和会館のスクリーンの改装取替えを終え、初の上映。

昭和60年(1985)
町職員の定年制が可決
一般職員定年60才、町営病院医師70才定年の条例が可決。

平成8年(1996)
行竹妙子、諸岡静子の両名、厚生大臣表彰を受賞
両氏とも、民生、児童委員としての永年に対しての受賞で、5月10日役場において、東福祉事務所長から伝達。

3月21日 

昭和21年(1946)
二子地区、演芸会
他地区に先駆けて、島民対象に共和会館で開催。

昭和23年(1948)
バトラー氏、再び来島、増産を要請
バトラー氏ほか3名と日本側炭業課長ほか2名並びに長崎軍政府一行9名は、20日端島を訪問後、21日二子坑を訪れ、第一組合(全炭労)幹部に増産要請が行われた後、アメリカの石炭映画「石炭の価値」「米国の炭鉱」を上映。

昭和23年(1948)
合同後の新組合の全国組織の所属を決める投票を実施
全石労1,475票・炭労1,229票で、新組合は全石労加盟と決定。

昭和52年(1977)
高島労働組合結成30周年式典を開催
式典は10時より勤労福祉会館で行われるが、20日前夜祭として、井上順ショーを開催。4月15日には、30周年記念誌を組合員に配布。

平成5年(1993)
「演歌DE愛ランドIN高島」コンサートを開催
長崎市南消防署の音楽同好会のグループ「ザ・フォーカス」の方々によって、13時30分より小学校体育館で開催、演奏や演歌メドレーが披露され、町民は聞く機会が少ない生バンド演奏を楽しむ。

3月20日 

昭和23年(1948)
両組合解散のための総会を開催
組合の混乱を救うには合同以外に手段がないと、両組合幹部は3月17日合同促進委員会を開催し、3月20日を期して両組合は解散し、21日全国組織別投票を行うとの決定に従い、両組合は総会を開催し解散式を行う。

昭和30年(1955)
結婚式の簡素化第1号の披露宴を開催
日吉岡集会所で、教育委員会の音頭で、披露宴は1人当り酒2合瓶1本で開催。

昭和39年(1964)
三曲合同演奏会開催
琴・尺八・三味線愛好者男女30名による演奏会を開催、中学校音楽クラブ・藤間流日本舞踊も賛助出演。

昭和41年(1966)
労組主婦会、物価メーデー
炭労指令により、各地区婦人約1,000人が集合し、物価メーデー高島大集会を開催。

昭和44年(1969)
小学校体育館新設
43年10月1日起工の体育館、面積1,014㎡、鉄骨及び鉄筋コンクリート造、総事業費39,013千円(このうち国庫19,525千円、起債6,600千円)で完成。20日完成したばかりの新体育館で卒業式を挙行。なお、5月12日より放課後一般に開放。

昭和49年(1974)
し尿汲取り管敷設が完成
仲山から若衆谷に、総事業費8,100千円(うち起債7,200千円)で、塩化ビニールパイプ580本のし尿汲取り管敷設が完成。

昭和54年(1979)
保険センターを建設
赤山麓に、事業費5,500千円で、鉄筋コンクリート2階建が完成し、4月1日より使用開始。

勤労福祉会館改修
産炭地労働者福祉施設体育娯楽センターの1階、旧ボーリング場を、予算額14,920千円で卓球などの出来る体育館に改修。

平成2年(1990)
蛎瀬アパートを取壊す
蛎瀬アパート1号~5号 平成元年11月15日~2年3月20日に除去 54,252千円(国庫補助21,811千円、一般財源21,591千円、その他10,850千円)。

平成4年(1993)
金松寺庫裡落成法要を挙行
台風19号で倒壊後復興に着工、氏子からの浄財も含め、鉄骨平家建で完成。11時より氏子参列で盛大に祝賀法要を営む。

平成7年(1995)
長崎歴史探訪グループが来島
史楽会員20名が11時着、小島~教会~神社、元気な一部の人は展望台へ登る。トマトを買い15時の船で帰崎。

3月19日 

昭和31年(1956)
炭労、賃闘でストに突入
炭労加入組合は、賃金要求で無期限ストに突入するが、高島労組は、保安採炭で採掘された炭は「原炭搬出拒否」「海底貯炭」の戦術を行使、これに対して会社は、バリケードによる職場立ち入り拒否の事業場閉鎖(ロックアウト)で対抗する等、厳しい闘争の結果、4月2日6時40分、賃金1方80円引き上げ要求に対して、1方20円、一時金3,200円で妥協し、1番方より14日振りに就労。

平成3年(1991)
高島地区マリノベーション拠点漁港漁村総合整備計画の認定証を受領
前年11月1日計画策定地域指定を受けていたところ、本日、水産庁において認定証の授与式が行われる。

平成6年(1994)
高層ビル火災防御訓練を緑ヶ丘アパートで実施
長崎南、市、町三消防署の合同訓練で、13時より旧緑ヶ丘公園で開所式後、39号アパート1階の2部屋を使い、ヘリコプタも出動し、屋上からの救助訓練が1時間ほど行われた。

3月18日 

平成7年(1995)
地域リーダーネットワークの全体交流会に、島っ子倶楽部が出演
地域づくりに積極的に取り組んでいる地域起こしグループ相互の交流を図ることを目的とした、地域リーダーネットワーク全体交流会が、長崎市NCCスタジオで開催され、活動事例発表に高島町から島っ子倶楽部が出演し、高島をテーマとした歌のメドレーを披露。

平成9年(1997)
第50回高島小中学校卒業式、鶴の北帰行と共に巣立ち
小学校男子2名・中学校男子5名、女子2名の卒業式が挙行され、12時10分頃、皆に見送られ玄関を出たその時、上空には北帰行する鶴の大群の姿が間近に久し振りに見られる。

3月17日 

昭和61年(1986)
県評主催、産炭地存続協議会が開会
県教育会館で開催され、高島労組より約100名が出席。

3月16日 

大正元年(1912)
二子坑、坑底に人車の運転を開始

昭和7年(1932)
二子坑で、ガス・炭塵爆発が起こり、死者12人
10時、二子坑第一区目貫で、信号用開閉器の取り扱いを誤り、火花より引火ガス爆発、死亡12人、重傷21人の大惨事となる。20日、合同葬が執り行われる。

昭和45年(1970)
塵芥焼却場完成
火葬場上、中腹道路側に、総事業費27,579千円(うち国庫4,091千円、起債17,900千円)でバッチ焼却方式処理能力1日当たり15トンの焼却場が完成、本日町長の手により火入れ式が行われた。

昭和60年(1985)
倉田周一画伯(絵画)、末次直夫(七宝)の合同展示会が福祉会館で開催される

平成2年(1990)
旧職員クラブを解体
8日に三菱本社より取り壊しの許可が降り、15~16日取壊された。

3月15日 

明治12年(1879)
長崎博覧会に模型出品
長崎博覧会が始まり、高島炭坑は人家・坑内・積込の様子などを現した高島全島の模型や、高さ8尺、周囲1丈2尺の高島炭を陳列する。6月4日までの入場者は98,000人。

明治31年(1898)
高島炭坑、創業記念日を設定
この日を初例として、三島(坑)の坑夫雇員に紅白餅一重宛、場所限傭員などへは、酒肴料50銭~75銭を支給する。

高島トマト 

100_1101.jpg

今年も高島トマトの季節になりました。
美味いですよ。
お問い合わせはえびすやさんまで。

3月14日 

昭和23年(1948)
第一組合員生産奨励金支払いを求めてハンストに突入
生産奨励金即時全額支払い、その他公休日の件を要求して、組合員4名勤労課にテントを張り、ハンストに入る。

昭和24年(1949)
第二組合解散記念演芸会を開催
第二組合(徒組)は解散記念として、炭労県支部後援、朝日新聞芸能団の演芸会を開催。

昭和30年(1955)
砿業所、係員見習を助手補と改称


昭和63年(1988)
長崎高等職業訓練校高島分校修了式を開催
閉山後蛎瀬事業場跡に、離職者対策として木工細工を主にして開校。35名が1年の訓練を終え、来賓として副知事を迎えて修了式を開催。

養殖ヒラメ初出荷
62年4月15日、ヒラメ稚魚を購入して養殖を始めたが、8月30日の台風で全滅。再度8,000匹を購入し、養殖を始め成魚になったので、兵庫県明石漁協に800匹を初出荷。

平成2年(1990)
町で、植樹祭
全国植樹祭が長崎県で開催(5月20日)されるのに伴い、町でも西浜グラウンドで、つつじの植樹ガ、議員、各界代表の手により行われた。

3月13日 

昭和23年(1948)
軍隊復員者に衣料配給

昭和24年(1949)
第一・第二組合合同総会を開催
新組合規約の選挙規定のみを先議可決し、選挙管理委員会が発足。

昭和36年(1961)
高島屋(衣料雑貨店)、同時期、高島電化センター(飯田)、共に緑ヶ丘生協裏に開店

平成12年(2000)
釣り公園でロケ
飛島磯釣り公園で、釣り番組の「電脳フィッシュEye」の第1回の収録が行われる。

3月12日 

昭和23年(1948)
全従業員大会が開催され、合同の気運動き出す
「二子坑全従業員」の名で大会が開催され、両組合合同に関しての決議文が会社・両組合へ手交。

昭和41年(1966)
小学校先生新立坑に体験入坑
先生15名は、坑内着に着替え960mの立坑昇降を経験。

昭和61年(1986)
高島町議会及びその他団体代表20名、14日まで中央陳情

平成5年(1993)
老人集会所廃止条例が可決
3月議会で、老人集会所「おばま荘」と「みどり荘」が老朽のため解体と使用不能により廃止の条例が可決。

平成11年(1999)
「健康な町づくり」講演会を開催
ふれあいセンターで、熊本県蘇陽町、甲斐末男・工藤光盛、健康村長による講演会が、18時30分より20時まで開催。

3月11日 

明治8年(1875)
高島小学校を開校
旧本町遊園地付近の民家を借用して校舎に当て、下等小学校として開校し、初代校長に深堀進氏が就任。
学制発布の翌明治6年、全国の就学率、男子46%、女子17%。

昭和23年(1948)
玉川勝太郎来演

昭和47年(1972)
物価メーデー、エプロンデモ
長崎市内で地区労組の物価メーデー、婦人のエプロン、シャモジデモが行われ、高島主婦会よりも参加。

昭和61年(1986)
「いじめ・学力・意欲を考える」と題して、講演会を開催
小・中・高PTA主催で総科大広木克行教授の講演会を開催。

平成8年(1996)
中学生、町議会を傍聴する
教師5名、生徒15名が、議員5人の一般質問を傍聴。

平成12年(2000)
「ながさき、しまフェスタ」に高島町も参加
福岡国際センターで、11・12日の2日間開催され、高島町は釣り公園などをPR、また、物産店として「えびすや」が出店しPRに努めた。

3月10日 

昭和14年(1939)
砿業所「休まぬ会員」を募集
坑夫出勤率低下防止と、時局の重大性を認識させる目的で、「3月10日陸軍記念日~5月27日海軍記念日までの間、全員皆勤を目指す」希望者を募集する。

昭和29年(1954)
西高高島分校、校門落成・除幕式を開催

昭和33年(1958)
小学校PTA、モデル学級の成果発表会を開催
より良い学級活動は如何にあるべきかを求めて、各学年一学級を指定して研修を行っていたが、その結果の発表会を開催。

昭和44年(1969)
高島保育園開所
43年8月7日起工の高島保育所、面積742.56㎡、鉄筋コンクリート造、2階建、総事業費30,087千円(このうち国庫1,333千円、県費50千円)で、百万に建設され開所式が行われた。定員120名。

昭和51年(1976)
高島商船と長崎汽船が合併して、長崎汽船として新発足
11時より就航式を行う。長崎~高島、8便中3便は伊王島寄港。

昭和54年(1979)
中学校テニスコートを造成
木造校舎解体跡地に、予算額15,587千円で、面積1,120㎡の中学生専用のテニスコート1面を造成。

昭和63年(1988)
定例議会で、高島保育園を4月1日より休止条例が可決

平成4年(1992)
パソコン教室の修了式を開催
生涯教育の一環として、平成2年度に小学校に導入されたパソコン機器を活用し、小学校の先生を講師に2月18日開講。週3回計10回の講習を行い、12名の修了者に修了証書が渡された。

平成6年(1994)
塵芥・し尿業務などの委託を、西武建設に変更
現業者の高島清掃(合)の辞退申し入れに伴い「浄化槽管理士」の資格を持つ西武建設(株)に平成6年度より、塵芥・し尿業務・火葬事業等の委託契約を、議会で承認。

平成10年(1998)
小学校児童、町議会を傍聴
13時から傍聴するが、議事は理事者の議案説明のみ。

ヒラメ稚魚、3万匹放流

3月9日 

昭和25年(1950)
労組賃金闘争の緊急総会を開催
会社の賃金釘付け提示に対しての闘争態勢確立のために総会を開催し、波状ストを含め、長い闘争に入り、7月9日暫く正式調印。

昭和35年(1960)
小学校PTA完全給食実施について、町議会に要望書を提出
小学校の給食は、23年9月より週2回でスタートしたが、35年9月1日より、校舎建築のために中止となっているが、早期に完全給食実施を議会に要望。
41年2月1日より、牛乳給食を開始。

昭和62年(1987)
高島町議会、議員定数を削減
高島町議会は、臨時議会を開催して61年3月に議員定数を16名を12名に削減していたが、閉山に伴う急激な人口減を考慮して、4月実施の議会議員選挙より定員を10名に削減を議決。県内一のミニ議会となる。

平成10年(1998)
家庭教育学級を開催
「子どもの心と親心」と題して、岸川忠之中学校教頭が講演。

3月8日 

昭和23年(1948)
第一組合員の暴挙を警戒し、特殊な入坑札を使用
会社は、第一組合員の暴挙を恐れ警戒心を高め、万一に備え坑内入坑札を識別出来る特殊な札の使用を開始。

昭和28年(1953)
西高高島分校、初の卒業式を挙行
昭和24年設置の高島分校第1回卒業式が行われる。卒業生53名(男子41名・女子12名)中11名は大学進学。

昭和33年(1958)
端島、新病院完成、診療を開始

昭和60年(1985)
病院職員宿舎が完成
町立病院の医師と看護婦の定員確保を目的に、日吉岡7丁目社宅跡地に、鉄筋コンクリート3階建、6戸(間取りは8畳・6畳・台所・浴室)、総事業費7,850万円(うち年金積立金還元融資資金借入金4,650万円・町負担金3,200万円)が完成。

平成6年(1994)
長崎汽船の運賃値上げとダイヤ改正について、各層代表者会議を開催
1.先生の通勤を配慮したダイヤ。2.20時40分終便を21時頃の便に変更。3.全便バイクの積載の処置。以上の要望が出される。

3月7日 

昭和23年(1948)
消防組織法施行により自治体消防として発足

昭和46年(1971)
高島高等学校、時任二郎学校長学校葬
2月18日高島病院に入院し療養のところ、24日0時48分永眠。26日金松寺で密葬、本日14時より学校葬を執行。

3月6日 

昭和41年(1966)
小学校創立90周年式典
8時30分より、全校児童による島内パレード、10時より式典、11時より音楽祭後祝賀会、PTAは小鳥小屋を完成し学校に寄贈。

昭和61年(1986)
朝日新聞に「高島閉山決定」と報道
この報道に各社取材に来島。労組は、数次にわたり究明行動を展開。

昭和63年(1988)
故星野町長の町葬が福祉会館で挙行
高田知事外各界・町民多数の参列があり、しめやかに挙行。

平成2年(1990)
漁業集落環境整備事業に関し、町主催の懇談会を開催

平成4年(1992)
防災行政用の無線通信施設が完成
3年9月に工事に着工。工事費4,429万円で完成し運用開始。役場内の親局から発信された電波を、町内8ヶ所の各地区受信機が受信し、スピーカーを通じて町民に伝達される。

3月5日 

昭和24年(1949)
野母商船が長崎~高島~端島~野母経由航路を就航

昭和32年(1957)
町議会定例会が年4回に
町議会定例会条例及び委員会条例の制定により、定例会が3月・6月・9月・12月の年4回となる。
委員会は、総務・土木経済・教育民生・水道衛生の4委員会。
50年3月より、総務・教育民生・水道衛生の3委員会となり、62年4月より、総務・教育民生の2委員会に。

平成元年(1989)
高島神社、両棟の上棟式を挙行
会社は台風被害で傾いていた拝殿を取壊しての譲渡のため、宮司・総代の控室も無く、氏子総代図り、坂口勝重氏に依頼、2月2日より建築に着手。本日8時30分より上棟式を挙行。

平成3年(1991)
大竹しのぶ外ロケ隊蛎瀬でロケ
端島炭鉱に勤務の砿員に関してのストーリーで、端島の共同浴場付近に似合った場所として、蛎瀬浴場が選ばれ、9時30分~10時30分までロケが行われた。

平成9年(1997)
アイランドテラピーについて、シンポジュウムが開催
国土庁で、国際シンポジュウムが開催され、高島町長が出席する。

平成11年(1999)
焼却場改修完了祈願火入式を実施
ダイオキシン排出改善のために、前年10月30日着工の改修工事が完成。

3月4日 

昭和26年(1951)
労組組合創立5周年記念式典を開催
共和会館で挙行、永年組合活動に従事した組合員の表彰が行われたほか、無料映画会・職場対抗野球試合などを開催。

昭和34年(1959)
端島労働組合、炭労加入反対と決定
九全労を中心に端島労組の炭労加盟の行動を展開したが、端島労組は、無記名投票の結果、加入反対785票、賛成600票で加盟に反対となる。

昭和51年(1976)
高島消防団が災害防止と消防力の強化により、消防長官表彰を受賞

平成元年(1989)
県立高島高校、卒業式並びに閉校式を挙行
10時より最後の卒業生13名の卒業式。引き続き11時45分より閉校式。終えて13時30分より福祉会館で昼食会が行われ、倉成衆議院議員東京より駆付け参列。

平成3年(1991)
北渓井坑を高島町文化財の第1号に指定

3月3日 

昭和35年(1960)
小学校戦後初めての学芸会
6年生を主体とした学芸会を、お別れ会の名目で本年初めて実施。

昭和44年(1969)
耳鼻科診療開始
毎週3回(月・水・金)。長年耳鼻科は無医町だったが、大学病院より応援医師の派遣で診療を開始。

昭和51年(1976)
高島小学校創立百周年記念祭を開催
1日記念行事として、小学生の持久走大会。
3日9時30分より校内参観、10時15分より祝賀式典、11時40分より「少年の像」の除幕式、11時50分より県警ブラスバンド演奏会、13時より勤労福祉会館で祝宴。「少年の像」建立総事業費89万6千円(町補助金50万円、砿業所3万円、PTA5万円、一般寄付31.6万円)。

昭和61年(1986)
石炭産業存続高島町民総決起大会を開催
高島町「高島を守る推進会議」主催で、福祉会館に約1,000人が参加し、野呂石炭労協会長・橋本炭労委員長・倉成正衆議院議員・自民党石特委員などの来賓を迎え、星野町長が議長となり開催。

平成8年(1996)
光町Aアパート中、一宅全焼
石油ストーブの油入れ替え中に引火、消防団が駆け付けた時は既に火は全部屋に回り全焼。

平成12年(2000)
上二子の浄化センターが完成し、通水式を実施
11年2月10日に起工式を行い、年内に完成。本年1月1日より供用ガ開始されていたもので、この完成で、高島長全域ほぼ下水道が完備された。