4月30日 

昭和24年(1949)
日本少女歌劇団来演(入場料50円)

昭和30年(1955)
町村合併後初の町長・町議会議員選挙
町長には、現職の福崎俊多氏が当選、町議会議員は定員の2.5倍の94名が立候補し、激しい選挙戦の結果、26名の議員(新人12名、端島出身7名、初の女性議員1名)が誕生。

昭和32年(1957)
メーデー前夜に喜劇座を開催
労組主催でメーデー前夜際として、博多仁和加劇場、霧島太郎一座の講演を会館で17時より開催。

昭和34年(1959)
町長、町議会議員選挙
町長選挙には、福崎俊多(現)4,934票、当選。町議選は立候補44名、当選26名。

昭和36年(1961)
天勝一行来演
メーデー前夜祭として、奇術の天勝一行並びに福岡楽団を招き、併せて主婦会員の舞踊も披露。

昭和38年(1963)
町長、町議会議員選挙
町長選挙 福崎俊多7,381票(5選)、新屋雄三1,651票、投票率89.5%。
町会議員32名立候補、26名当選。議長谷下秀雄氏・副議長三浦行雄氏を選任。

昭和47年(1972)
西海岸公園グラウンド用地埋立工事完成
46年度・47年度の2ヵ年継続事業として、総事業費17,066千円(うち県費500千円、起債6,000千円)で面積15,000㎡の埋立工事が完成。49年に総事業費30,071千円で延長215mの護岸工事が完成。

昭和48年(1973)
町ボーリング場開所式を開催
体育娯楽センター1階に8レーンのボーリング場を設け、その開所式後、町内初のボーリング大会地区対抗試合を開催。

4月29日 

昭和23年(1948)
長崎軍政府労務官、従業員に講演
デカロフ大尉が来町し、18時30分より協和会館で「炭鉱労務者の手腕が直接生産を振興し、又は輸出産業の拡張により、国民生活必需物資獲得の基礎となる。…組合を自主的に運営すること。」と講演。

昭和50年(1975)
砿業所が合理化案を組合に提案
新操業体制に伴う人員削減(500名南夕張に配転)と賃金の是正、炭鉱外の各種適正化を提案。

昭和59年(1984)
三菱高島労組OB会が結成され総会を開催

平成11年(1999)
中山流、高島・長崎会員交流親睦舞踏発表会を開催
長崎会場と交互に開催の交流会を、今年は高島ふれあいセンターで13時より14時30分まで開催。

4月28日 

昭和42年(1967)
町議会議員選挙
定員26名に対して28名が立候補。有権者10,817人・投票者9,872人・投票率91.27%。

平成3年(1991)
中山流、会員交流民舞発表会を開催
今回は高島扇寿会との交流の名目で、扇寿会指導の近藤先生と友人の門下生60名余来島。13時~15時まで福祉会館で発表会後、親睦会。 

平成8年(1996)
第1回、高島ふれあい釣り大会を開催

250名の予約が実際は350名余になり、快晴に恵まれ、商工会の「アラカブのみそ汁」無料サービス、漁業組合の「さざえ」販売に加え、大物賞ほか豪華景品に大好評。小島プールではファミリー釣り大会。

4月27日 

昭和46年(1971)
二子坑、飛島区域に着炭
43年10月に開発開始し、バラ色の飛島区域と期待の18尺層に、20時30分着炭。

昭和50年(1975)
町議会議員選挙
定員18名に対して19名が立候補。
4月9日の臨時議会で、公営ポスター掲示板設置条例が議決されたが、罰則規定がないために公営掲示板以外に、従来のように自由に貼る候補者がいて大激戦。有権者6,360人、投票者5,685人、投票率89.39%。

平成元年(1989)
大正琴部が開講式
元高島小学校長近藤信先生を講師に部員11名。15時より開講式。

平成6年(1994)
老人健康管理手当支給に併せて、歯科の検診を実施

4月26日 

昭和23年(1948)
級対抗野球大会を開催(~27日)
昭和11年卒業組(伸樹会)が優勝。

ナワ・スミヲショー、来演

昭和34年(1959)
高島中学生、八郎岳連峰縦走大会に参加
砿業所・教育委員会共催で、砿業所山岳部員10名の指導で八郎岳登山縦走大会が実施され、中学生51名・先生2名が参加。

昭和62年(1987)
町議会議員選挙
定員10名に対して14名が立候補。

平成6年(1994)
長崎身障者団体と、高島身障者団体「ひまわり会」との交流会を開催

4月25日 

昭和19年(1944)
軍需会社法により、軍需会社に指定される

昭和43年(1968)
高島俳句会発足

昭和46年(1971)
高島町議会議員選挙
31名立候補し、女性1名(女性議員としては2人目)含む、26名が当選。
有権者10,449人、投票者9,239人、投票率88.42%。

昭和61年(1986)
大浦警察署交通巡視員による交通安全教室が、園児・母親対象に開催

平成11年(1999)
町議会議員選挙
定員10名に対して14名立候補し、新人2名を含む新議員が誕生。

4月24日 

昭和35年(1961)
労働組合長、フランスの労働事情視察
松尾高島炭砿労働組合長は、三菱炭鉱労働組合連合会会長として、炭労より派遣、5月10日まで、フランスの労働事情を視察。

昭和58年(1983)
町議会議員選挙
定員16名に対して17名が立候補。マイクの使用を17、20、23日の3日間で、選挙運動は午後1時より。ポスターの貼付けは長設営の掲示板と申し合せ。

昭和60年(1985)
坑内で、死者11名の大災害が発生
飛島二卸坑道上部付近において、8時45分頃ガス爆発が起こり、11名が死亡・4名が重傷を負う戦後最大の大災害が発生し、会社は直ちに臨時休業に入り、原因究明に当たるが、5月2日福岡鉱山監督局の操業再開が許可された直後に、今度は○方連坑道で落盤事故が起こり、再び臨時休業に入り、都合13日間の休業。

4月23日 

昭和13年(1938)
小学校、百間崎新校舎の落成式を行う
長崎団次郎砿業所長、末網磯吉副長の発議により、昭和12年9月に百間崎に着工、校舎3棟、講堂98坪、運動場320坪が完成し落成式が行われ、村に寄贈される。6月8日~9日、三軒町校舎より全て移転する。

昭和22年(1947)
篠田実一行、来演(入場料10円)

昭和26年(1951)
町長並びに町議会議員選挙
町長選挙は、現職の福崎俊多3,196票で当選(2選目)。会社・組合推薦の砿業所工作課長世良斉1,892票で落選。町議会選挙は、労働組合は15名の統一候補を推薦したが、定員22名に対し僅か1名当選と大惨敗し、執行部は責任を感じ総辞職を諮るが、総会で留任と決定。

平成7年(1995)
町議会議員選挙
12名立候補し、現職7名・元職1名・新人2名の10名当選。25日、議場にて当選証書授与式。

4月22日 

昭和26年(1951)
新病院前に、テニスコートが完成
尾浜のテニスコートは、アパート建築のために撤去され、代わって新病院前に新しく作られ、コート開きが行われた。

昭和54年(1979)
町議会議員選挙
定数16名。申し合せにより、ポスター掲示は町設営の18ヵ所、選挙マイクの使用は16時から19時とする。

昭和63年(1988)
二子立坑櫓も遂に倒壊
21日に作業が行われたが失敗、22日15時30分頃、予定より早く、作業員も驚く程の瞬時に倒れる。

平成6年(1994)
為石浄水場が完成し、おいしい水の給水を開始
今までの急速ろ過方式から緩速ろ過方式に切替え、また、緩速ろ過の前に生物接触ろ過槽で処理する、二重のろ過過程を通る為に、今まで以上のおいしい水を供給出来る設備で、落成式は5月30日11時より挙行される。

平成8年(1996)
老人大腸ガン検診を実施

4月21日 

昭和58年(1983)
日吉岡に高校教職員公舎を建設
日吉岡旧寿町に長崎市よりの通勤者対策として、県工事で、2階建て、3等8世帯の公舎を建築。

平成3年(1991)
町議会議員選挙
定員10名に対して、14名立候補。現職7名、新人2名、元職1名当選。

平成8年(1996)
高友会、病院会両グループが来島

福岡近郊に在住の、元高島に勤務していたグループで、今回は70余名が10時50分に来島し、思い思いに島内を散策したり、旧知を尋ねて13時30分に離島。

4月20日 

昭和22年(1947)
高田浩吉一行来演

昭和23年(1948)
大市少女歌劇団来演

昭和31年(1956)
高島町、郵便事業進展の功績により熊本郵政局長表彰受賞

昭和34年(1959)
健康保険組合、福岡に保養所を開設
組合員の新しい保健施設として、海浜保養所を福岡市西新町に建設。収容人員30名程度、利用料は一泊三食220円。

昭和48年(1973)
砿業所購買会を解散し、店舗を生活協同組合に譲渡
新体制の一環として厚生課購買部を廃止し、3月13日には在庫品一掃大売り出しを行った。

昭和62年(1987)
KKシーテックスを設立
県・町出資の第3セクター方式により、農水省の外郭団体でヒラマサ・カンパチ・シマアジ・マハタ等の高級魚の産卵から成育の技術の研究を5年間行う。

昭和63年(1988)
中学校部活は、卓球と陸上の2部
体育協会理事会で種々検討の結果、生徒数減少で2部と決定。

平成10年(1998)
センターホワイエで陶器展が開催される
陶芸部員の作品展をふれあいセンターホワイエで開催。(~5月22日)

4月19日 

昭和34年(1959)
労組新事務所、28日に移転し本日落成式を挙行
砿業所は、会社所有の現労組事務所の改修費として350万円、役場は労働会館名目で200万円を寄付。700万円で間組と契約、落成し、各関係者130名参会のもと式典を開催。組合員に大皿1枚記念品として支給。

昭和48年(1973)
結核予防事業の推進により、(財)結核予防会総裁表彰を受賞

昭和57年(1982)
県警音楽隊を先頭に町内パレードを開催

明るく住み良い町民会議が、第2回目のパレードを開催。

平成8年(1996)
スリランカ地域研修員が来島
マリノ事業の説明を受け、現地を視察し、伊王島へ向かう。

4月18日 

昭和22年(1947)
高島中学校、小学校の北側校舎10教室を借用して開校

学級数 6学級・生徒数266人。

昭和23年(1948)
二宮惣一氏の引退相撲大会を開催

終戦後の不発弾を、酒1本で処理に当たるなどの貢献をされた氏は、大の相撲通であり、また自身小柄ながら相撲を取っておられ、今回退島に際し、相撲部主催で長崎市・高浜村・蚊焼村より招待し、引退相撲大会を開催。

昭和47年(1972)
臨時員組織結成大会
臨時員を労組の下部組織(準組合員)として、本日結成大会を開催。

昭和58年(1983)
町民菜園入園希望者を募集
日吉岡旧社宅解体跡地を町民菜園(1世帯、1区画25㎡)として、入園希望者を募集(27日まで)。

昭和61年(1986)
高島中学校、創立40周年式典を挙行
式典後、記念植樹・餅つきを行う。

平成4年(1992)
バス路線対策特別委員会を設置
島内バスの赤字対策として、議会で対策特別委員会を設置し、種々検討して行くこととする。21日には伊王島町のバス運行状態を視察。

平成10年(1998)
ふれあいコンサートを老人ホームで開催
長崎市在住の松林静風・歌子夫妻の「尺八、胡弓」のコンサートが開催され、入居者を慰問。

緑ヶ丘改良アパート跡地 



アパートは撤去され、大事に植樹されています。

4月17日 

明治2年(1869)
北渓井坑が開坑
掘削しはじめて1年後の4月17日、深さ144尺6寸(約45m)で厚さ8尺の炭層(上八尺層)に着炭、9月には蒸気機械が入り操業開始する。この北渓井坑が、わが国最初の洋式立坑と言われている(明治9年閉坑)。

昭和21年(1946)
長崎暁峰楽団来演

昭和63年(1988)
星野前町長死去に伴う町長選挙を併せて、豊田議員の町長選出馬に伴う議員補欠選挙を執行
 町長選挙 当選 豊田定光 次点 中村則幸
 町議補欠選挙当選 富川忠孝
 投票率 84.53%

平成9年(1997)
庁舎完成移転のため、今秋の運動会、球技大会は中止と決定

平成10年(1998)
老人クラブ郡南地区ゲートボール試合を開催
親睦を目的に、約200名参加し、高島小中学校グラウンドで開催。

4月16日 

昭和62年(1987)
自然薯を栽培
教育委員会の指導で、閉山後の活性化事業として、有志を募り自然薯の栽培を試み、小学校空き教室を利用して種芋の培養を始め、5月11日50本、日吉岡旧6丁目の社宅跡地に自然薯筒の植え込みを行う。

昭和63年(1988)
アパート最初の取壊し、仲山Bアパートより取りかかる

4月15日 

昭和21年(1946)
食料増配感謝、石炭増産運動実施(~21日)
期間中、満勤者に映画券(1円40銭)1枚、全員に賞与一人50円宛支給。

昭和31年(1956)
ストで延期の山神祭を挙行
高島音頭が前景気をつけ、新築の神社から繰出す神輿、二子・日吉岡の踊り町の奉納踊りと、快晴に恵まれ例年にない賑わいを見せ、16日には二六和寮前の広場で、奉納相撲大会を開催。

昭和42年(1967)
長崎県議会議員選挙に、山口健次氏初当選
高島労組出身の山口健次候補は第3位(8,671票)で初当選。

昭和48年(1973)
町広報誌「おしらせ」第1号発行

昭和51年(1976)
高島町過疎地域振興法の地域に指定
9月27日町過疎地域振興計画を策定。

昭和61年(1986)
県議会特別委員会、高島事情調査に来島

古藤議長ほか23名来町、町・鉱業所・労組・職組が陳情。

昭和62年(1987)
高島興産で、ヒラメの養殖開始(旧二子総合工場跡に設置)

ヒラメの稚魚が初入荷し、養殖を開始。

平成11年(1999)
「大仁田厚のファイヤーランド」のロケ
釣り公園を主にしたロケで、高島が紹介された。

平成12年(2000)
NHKドラマロケ隊安全祈願祭
ドラマ、「深く潜れ八犬伝2001」の主演の歌手、鈴木あみほかスタッフ約50名は、高島神社でロケの安全祈願際を行い、その後ふれあいセンターでの町の歓迎会に臨んだ。ロケは数日間、端島を主にして行われた。NHK総合テレビ、10月3日より毎週火曜日23時より10回放映。

4月14日 

昭和24年(1949)
高島町が都市計画法の適用により、人口集中地区に指定

昭和38年(1963)
高島中学校体育館落成
37年8月28日起工の体育館。920.82㎡、工事費2,367万円で完成。

昭和43年(1968)
炭鉱国有化西九州地区大会に高島労組参加
国有化春闘西九州地区大会が、佐賀公園で開催され、高島労組よりバス2台・85名が参加するが、炭労・全炭鉱・炭職協と全国炭鉱労働者組織より代表者が集い、記念すべき日と評価。

平成元年(1989)
(株)高島グリーンファームを設立
三菱鉱業セメント・三菱石炭鉱業・町各500万円、菱高開発が200万円出資の第3セクター方式で、トマト栽培を目的に設立、従業員20名で発足、直ちに光町木造社宅跡地に着手。

平成12年(2000)
町長、シンポジウムで講演
東京九段会館で開催された、地域活性化センターと全国56新聞社主催の「21世紀のふるさとづくり2000」のシンポジウムで、全国で2町選ばれた青森県田子町長と高島町長が「元気村からのメッセージ」と題して講演。

4月13日 

明治30年(1897)
端島坑争議(~14日)
漏水で坑内作業が危険なため坑内夫700人が入坑拒否の同盟罷業、警官40余人が出動し、鎮撫に努めた結果14日に鎮静する。

大正5年(1916)
蛎瀬坑の坑内作業に婦女使役を開始
第一次大戦に伴う坑夫不足から、婦女を後山坑夫として入坑を開始する(二子坑は大正6年6月4日より)。昭和8年9月1日、坑内就業が禁止されるまで稼働する。
全坑員に占める稼働率
 大正11年下 7.8%
 昭和5年上 5.0% 昭和5年下 5.5%
 昭和8年上 4.5% 

昭和23年(1948)
組合再び分裂
旧第二組合有志は、旧第一組合の専断と策謀を非難し、4月13日結成大会を開催し、21日に正式役員を選出。

昭和26年(1951)
GHQ労働教育班長ブラッティ氏来島
労組幹部と懇談会を開催し、今春の炭労のストについて批判中心の話合いが行われた。

平成6年(1994)
水産会館竣工式を挙行
本町埋立地に、5年10月25日工事安全祈願際を行い、着工のところ完成。10時より県・近隣漁協関係者等を招き竣工式。
 工事費 173,406千円(起債112,300千円)

緑の桜 



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神社の桜は盛りを過ぎて、散り始めています。
権現山中腹に咲いている緑の桜です。御衣黄と言う種類らしいです。植樹した時に他の桜に混じって植えられたそうです。

4月12日 

昭和28年(1953)
労働組合主婦協議会を結成
14時より共和会館において、結成大会が開催され、綱領・規約を採択し、初代会長に直江瀧子氏を選出。

昭和61年(1986)
高田知事、佐世保市で、渡辺通産大臣に高島炭坑存続を陳情

平成5年(1993)
日吉岡、漁業集落道路の開通式を開催
マリノベーション拠点漁港漁村総合整備事業の一環として、3ヶ年事業で建設が進められていた、シンコー物産横から金松寺(旧日吉岡社宅跡)までの漁業集落道路が完成し、80才以上の老人を招待し、シンコー物産横(道路上り口)でテープカット後、参加者全員で渡り初めを行う。
 総延長 556.8m
 工事費 124,836千円
 工 期 平成2年11月14日~平成5年3月30日

4月11日 

昭和23年(1948)
新組合初の総会が開催されるが、決定事項に旧第二組合反発
新組合発足前の問題で、3月26日の組合員の暴力事件並びに某組合員の履歴詐称で会社より解雇申渡しがあり、この首切り反対闘争が決定されたことに、旧第二組合は反発。

昭和27年(1952)
高島消防団、火災予防功績により、県消防協会表彰を受賞

昭和30年(1955)
坑内落盤で5名が殉職
七卸右四片下層払で、21時ころ落盤があり、7名生埋めとなり直ちに4交替での懸命の救出作業が行われたが、戦後初めての採炭払における5名の犠牲者が出、14日所葬を行う。

昭和41年(1966)
出炭13万屯突破
3月の出炭が13万3,400トンと開坑以来の新記録で、記念品として、三彩焼茶器セットを従業員に支給。カロリー最高7,760
カロリー、最低4,000カロリー、平均6,400カロリー。

平成5年(1993)
高島「扇寿会」と長崎中山流民舞グループとの親睦民舞発表会を開催

平成7年(1995)
ヒラメ稚魚、1万8千匹放流
シーテックスでふ化された、体長5cmのヒラメの稚魚を放流。

4月10日 

大正7年(1918)
三菱鉱業株式会社設立される
鉱山部・炭坑部とその所管事業を継承して成立、5月1日より営業を開始する。

昭和24年(1949)
博多淡海、演芸会

昭和41年(1966)
日中友好協会高島支部発足
会長に町長就任。

昭和53年(1978)
町議会、水道特別委員会ポリ管製作工場を視察
昨年5月に、海底送水管の切替えはポリ管と決定していたが、製作工程が遅れ、延滞料金について3月議会で議論した経緯もあり特別委員会として、千葉県五井の製作工場に現地視察を行った。

4月9日 

昭和44年(1969)
高島砿校新帽章を採用
高島高等鉱業学校は創立以来の三菱マーク入りの帽章を、新学期より高工を波で囲み、鷲の背に乗る新デザインの帽章を採用。

平成10年(1996)
伊王島ルネサンスの料理講習会に参加

高島の婦人有志17名、冷飯を利用した「コロッケ」作り、その他の料理を学び帰る。

4月8日 

平成6年(1994)
長崎汽船、高速船「コバルト1号」を運航
長崎まで35分、定員268名、総トン数180トン、高速船の就航は、町民の長年の夢で、高島発6時27分より就航。

4月7日 

昭和42年(1967)
砿業所、技能砿員養成所昇格
今までの技能砿員養成所が、高島高等鉱業学校に昇格し、本日開校式並びに3期生21名の入学式を挙行。

昭和61年(1986)
労働組合、独自の閉山対策委員会を設置

平成4年(1992)
高島町長選挙を執行
7日告示、12日投票の町長選挙に、現職の豊田町長が立候補、他に立候補無く、豊田町長が無投票当選。

4月6日 

昭和33年(1958)
悪天候の中での山神社祭を挙行
労組ストのため本日に延期された祭も、厳しい風雨となり、お下りや奉納踊りは中止。本殿で神事を行い、招聘していた無形文化財の平戸神楽「剣の舞」を奉納。折角練習を重ねた踊り町は、それぞれの地元で地区の人に披露。

平成5年(1993)
中学校入学式を、改装された体育館で挙行
男3名・女2名、計5名。

平成11年(1999)
長崎県新任職員前期研修会を開催
高島ふれあいセンターで、県新任職員140名が参加して研修会が行われた。

4月5日 

昭和22年(1947)
公選(普通選挙法)初の高島村長選挙
当選 福崎俊多 1,700票、次点 金松忠三 604票、無効 151票。

昭和40年(1965)
砿業所、技能砿員養成所入所式
中堅砿員養成の目的で養成所を金堀赤山東側に建設し、第1回の入所式を行う。

昭和50年(1975)
町は「石炭の日」を設定し、町民慰安、舟木一夫ショーを開催
町では、砿業所の山神祭(操業記念日)当日を、毎年「石炭の日」と定め、本年記念に歌謡ショーを開催。

昭和56年(1981)
山上祭のど自慢大会などを開催
恒例の山神祭を行い、地区対抗のど自慢大会をテイチクレコード専属歌手、豊島ひとみ(佐世保市出身)をゲストに迎え、NBCバンド演奏で開催。

平成4年(1992)
高島神社、春の大祭を開催
10時20分稚児の舞に続いて、初めて中学生により獅子舞を披露。その後、御輿の渡御、弔祭場では青年協の協力でイベントを開催。

4月4日 

明治13年(1880)
高島炭坑ガス爆発、即死47名・重軽傷47名
4日9時、第二坑内蒸気卸東21片盤中より瓦斯破裂し、為に坑夫門監等の即死する者17名、疵傷の軽重を合し47名、坑内馬の死する8頭に及べり、この原因を探究するに、荷重の瓦斯を噴出する箇所に坑夫妄りに進入し、灯器使用が災害の原因と認めた。

昭和23年(1948)
高島演劇部「炭坑創作劇コンクール地区予選」の参加
炭坑放送文化委員主催で、崎戸砿で開催され、高島演劇部は「地熱」で参加して2位に入賞。個人演技賞を2名が受賞。

昭和32年(1957)
海底送水管の1本目の敷設作業が無事に終了
31年5月起工式を行ってから1年、4月4日未明の3時50分より、世界的にも前例のない1本目の敷設作業が始められ、延長5,000mの送水管は、三和町岳路海岸より3日間の作業を経て、7日16時24分二子海岸に達し、関係者一同は思わず万歳を叫んだ。なお、この後高島向けに1本、端島向けに2本敷設の予定で、1日5千トンの水を送る。高島長年の難問題を解決する世紀の大工事も無事成功する明るい見通しとなった。

昭和40年(1965)
爆笑グループ来演
従業員慰安として無料で開催。
落語…昔々亭桃太郎座長、古今亭桃輔、桃の花代。
歌…若汐みどり、奇術…松旭斎清美。

昭和56年(1981)
三菱創業百周年祭を盛大に開催
勤労福祉会館で、大槻文平会長ほか社長・関係者列席のもと盛大に式典を開催。その後、長崎放送製作による「高島百年の春」を上映。
式典終了後2階において祝宴を行い、外では長崎諏訪町の竜踊りを島内各所で披露。

平成10年(1998)
春祭りが東海岸公園で開催
10時20分神輿お下り、西浜~東海岸公園へ安置、11時より、扇寿会の奉納踊り、鼓響塾生の太鼓の披露があり、神輿は12時お上り、好天気で好評裡に終わる。

平成12年(2000)
高島町長選挙、現職豊田町長の無投票当選

4月2日 

大正6年(1917)
小学校、二子分教場を開設
校舎並びに敷地は会社の寄付を受けて開校(現光町公園付近)二子地区在住の3年生以下の生徒の2学級編成であった。夜は武道場として、一般に開放された。
昭和3年4月、本校に統合され廃校となる。

昭和26年(1951)
鉱業所創立69周年、山神祭を挙行
1日、雨天のために神社において祭典を行い、午後には共和会館で町民に平戸神楽を披露。2日、お神輿4基お下り、会館前に安置し、お神輿前で各地区の奉納踊りが催される。戦災(終戦間際の高島被爆)復興功労者の表彰が行われた。

昭和30年(1955)
合併祝賀記念行事を開催
佐藤副知事を迎え、島内外多数の知名士参列の下に盛大に祝賀会が行われ、町民の旗行列、長崎市より招いた龍踊りの披露の外、高島対全長崎対抗柔道大会等の祝賀行事を開催。

山神社祭「三つの歌」を披露
共和会館において、慰安映画後、NHK川上アナウンサーの名司会で「三つの歌」が行われ、観衆が溢れんばかりの声援。

昭和51年(1976)
町立歯科診療所が開院
緑ガ丘の旧さつき児童館を改造し、総事業費10,547千円(うち診療機器6,111千円、改造費4,436千円)で開院。

昭和52年(1977)
石炭発見の地に「砿員の像」建立
西浜公園入口に石炭発見の地として「砿員の像」が建立され除幕式を開催。制作者は、日展会員で高島長出身の彫塑家、山崎和国氏。

平成元年(1989)
高島神社、脇殿完成式と春祭りを挙行
10時より祈願祭後、御輿御霊移しを終え、西浜地区の有志により渡御、脇殿完成式典後、奉納踊り(民舞会の大黒舞い、高島節、他二曲)13時頃御輿は戻り、御霊移しを終え、氏子総代による神社祭典は無事終え、一同桜の下で春祭り、カラオケ等で楽しむ。