6月30日 

昭和21年(1946)
従業員慰安運動会(健保・協和会・労組共催)
詰所対抗 男子1位 高島、女子1位 日吉岡
国民学校地区対抗リレー1位 男女共 日吉岡

平成3年(1991)
島原救済、バザーと演芸会を開催
普賢岳大火砕流で大きな被害を受けた島原地区の人々の救済目的で、島っ子クラブ会員が音頭をとり、扇寿会・大正琴・民舞会・カラオケ部の賛同で、12時30分~15時10分まで体育娯楽センターで募金演芸会、また商工会も同会場でバザーを開催。

平成5年(1993)
診療所医師が交代
現診療所長、松原公喜先生退職。後任には、安田国士先生(36才、東海大医学部卒)が就任され、7月10日より診療に当たられる。

金堀管理棟並びに配水池が完成
平成2年8月24日、簡易水道切替えに伴う新事業が起工、その中の金堀上配水池、同下の管理棟の建設および、三和町10万トン貯水池に循環装置設置が完了。

6月29日 

昭和29年(1954)
第1回全三菱合同写真展に入選
造船・電機・製鋼・銀行・高島等、三菱各社の写真部の合同展が、浜屋デパートで開催され、高島より14点出品し中2点が入選。2点佳作。

6月28日 

昭和14年(1939)
神谷副長、赴任先の中国(支那)で殉職
高島砿業所より准南砿業所大通炭坑長に赴任された神谷新太郎砿業所副長が、上海出張の帰路、対岸より銃撃を受け殉職される。

昭和21年(1946)
ふるさと楽団来演(入場料3円)

昭和34年(1959)
第1回職場対抗卓球大会を開催
本年初めての企画として、小学校講堂において、6チーム(男女混合)参加して開催され、工作チームが3:2坑務課チームを破り初優勝。

昭和37年(1962)
恐竜の化石発見‥‥実は哺乳類の化石
二子立坑開発工事中、925mの地底で発見、鑑定を依頼の結果「日本では珍しい恐竜の化石」と大々的に報道されたが、平成5年9月6日再鑑定の結果「哺乳類の化石」と鑑定。

昭和54年(1979)
長崎汽船運賃値上げを提案
6月28日運賃値上げに対して、町は聴聞会を開催。
7月5日第1回の対策会議を開催。
7月9日値上げ反対の署名活動を展開し、14日集約の結果6,536人、92.34%が署名。
7月9日伊王島と対策会議を開催。
7月11日九州海運局長崎支局に陳情、18日には九州海運局に陳情。
11月7日値上げ、片道390円→500円・往復700円→930円で解決。
11月15日組合は砿業所と交渉の結果、従業員片道250円・往復465円で妥結。

昭和63年(1988)
蛎瀬1号~5号アパート横の土手の竜舌蘭花開く
60年に一度開花すると言われている竜舌蘭が3本も揃って花が開く。

平成7年(1995)
劇団「風の子九州」開催
県青少年劇場主催で、小中学校体育館で13時より開催。

6月27日 

昭和40年(1965)
東京学芸大辰見敏夫先生の講演
小学校講堂で「少年期の導き方」と題して講演を開催。

昭和61年(1986)
6月町議会
高島炭坑対策特別委員会設置を議決する。
星野町長、行政報告
高島炭坑存続は大変厳しい、閉山を想定した高島振興策を早急に確立する必要があると報告。

昭和63年(1988)
久松に131名の就職希望申込者がおり、27日・28日の両日面接

平成2年(1990)
石炭資料館を改造
旧労働組合宿直室を展示室に改造。

6月26日 

昭和22年(1947)
青年団支部対抗素人野球大会を開催
投手は支部長として行われ、結果は百万8Aー3村二子8ー7日吉岡。

昭和32年(1957)
小・中学校、流感で臨時休校
流感で欠席する児童・生徒が増え、ついに小学校は7月5日まで、中学校は6月30日まで臨時休校。

昭和36年(1961)
江田社会党書記長来島
全国遊説の途次来島、13時30分より協和会館で国会報告後、島内パレードを行う。

昭和62年(1987)
星野町長、議会でカジノ誘致を表明
6月10日の県主要プロジェクト推進大会で、「高島にカジノ誘致」を要請し、高島町議会において始めてその方針を説明。

6月25日 

昭和23年(1948)
本社派遣の演芸大会を開催

昭和29年(1954)
カチューシャ劇団が公演
労組主催で、中国劇・ロシア民謡・日本舞踊などが、3時間にわたり行われた。入場料5円。

昭和36年(1961)
小学校PTA、池造り奉仕作業
講堂前に、23日より逐次準備作業を行い、本日PTA役員・学級委員長などが集い9時から15時まで奉仕作業を行い完成。

昭和39年(1964)
坑内冷房完成、本格的運転開始
炭界最大級の設備と云われ、1日の製氷能力は貨車33台分(1台15トン)。坑内を2℃程冷却する設備で、総事業費2億円。

昭和48年(1973)
青少年劇場を開催

教育委員会、青少年育成会共催で、安藤恭子、宮本昭太ジョイントコンサート、第一部荒城の月ほか7曲、第二部歌劇カルメンを上演。

平成5年(1993)
辺地総合整備計画案が策定され、議会で可決
1.「辺地に係る公共的施設の総合整備のための財政上の特別措置等に関する法律」の辺地法の制定に伴い、平成5年~9年までの5年間の事業計画案を議決。
2.本町バス停裏駐車場廃止(終末処理場建設予定地につき廃止)。

6月24日 

明治18年(1885)
松島坑の試掘権を取得
高島炭坑は「追々廃坑之期相近キ候」とし、代坑として松島全島の試掘を出願中のところ、6月24日試掘権を取得する。試掘の結果、湧水が非常に多量のため、巨額の資金と夥多の労力が必要などの理由で、22年7月で撤退する。

明治42年(1909)
酌婦に、芸妓税を賦課
この時、酌婦2名であったが、賦課を村議会議決する。大正時代になると、二子に「菱屋」「松屋」(後に洗心寮となる)、百間に「武蔵屋」それに尾浜に4軒の遊郭があった。

昭和21年(1946)
千代田勝太郎と団徳丸一行来演(入場料5円)

昭和57年(1982)
文化協会発足
本日理事会を開催して、文化協会が発足。

6月23日 

昭和34年(1959)
海亀、百間海岸で産卵
1時頃高島詰所下の海辺で、産卵中の大海亀を中野金之助さんが見つけて息子さん達3人がかりで生け捕った。重さ90kg、幅70cmの赤海亀で、黄色のピンポン玉を思わせるような玉を150個産卵。亀は24日長崎水族館に寄贈。

昭和39年(1964)
模擬町議会開催
高島・端島両婦人会37名が参加して、13時30分より模擬議会を開催。

昭和54年(1979)
町議会で、健康づくり推進の町宣言を決議
定例議会で、「健康づくり推進の町宣言」が全会一致で議決。なお、同日保健センターで、福井病院福井功院長の健康づくり講演会を開催。

昭和63年(1988)
高島郵便局長に池田英敏前労働組合長が就任
63年3月29日宗近郵便局長の死去に伴い、後任に池田氏が局長に就任。

6月22日 

昭和27年(1952)
協和会館を改装
6月1日より休館して改装工事に掛かり、正面入口の全面改装と、2階を1人掛け折りたたみ椅子に取替えを行い、本日開館する。映画2本立て40円。

昭和32年(1957)
高島消防団を再編成
団員の居住異動によって消防活動に支障をきたすようになり、本日の会議で、これまでの4分団(高島・3分団、端島・1分団)を9分団に(高島・6分団、端島・3分団)に改め、なそ、その地区に住む団員をもって各分団を編成することが承認され、団長に塩田正典氏、副団長に蜂谷直彦氏が就任。なお、新型消防車1台(トヨタ105馬力、180万円)を12月20日購入し入魂式を行い、第6分団に配備。

昭和58年(1983)
「豊かさの中の貧しさ」と題して講演会を開催
福祉会館で、西海町実相寺梶原北天住職の講演会を開催。

平成4年(1992)
児童劇「鍬と殿さん」公演を開催
児童演劇地方巡回公演で、体育娯楽センターで、13時より開催。楽しい会話やユーモアたっぷりの劇に参加者大喜びであった。

平成8年(1996)
長崎歴史探訪の「漫歩会」来島
10時50分着で49名が来島し、島内史跡を巡り15時に帰崎。

6月21日 

昭和34年(1959)
西高高島分校、創立10周年記念式典を挙行
11時より小学校講堂において盛大に式典を挙行し、終了後、県警音楽隊の記念特別演奏会が行われ、午後生徒会演劇部並びに同窓会の演芸を開催、夜は分校恒例のファイヤーストームが、中学校校庭で華やかに実施され10周年を祝った。

昭和37年(1962)
山手にプール開設
健康保険組合は、従業員の福利厚生施設として、山手・緑ヶ丘間の谷間にプールを建設し一般に開放。

昭和59年(1984)
小学生砂の芸術展を開催
昨年に引き続いて2回目、西浜海岸で全児童参加で行われる。

平成3年(1991)
石炭資料館に坑内模型を据付け
長崎市大浦の自動科学館(旧英国領事館)を野口弥太郎記念館に改装するため、展示してあった高島炭坑坑内模型の譲渡の話があり、300万円で補修を行い本日据え付けられる。

6月20日 

明治18年(1885)
長崎~高島間の郵便物輸送業務を開始
今まで対岸より小船で運んでいたのを、官の命で炭坑会社が業務を開始する。昭和37年2月9日解除となり、業務は長崎汽船に委託。

昭和27年(1952)
労組、初めて社宅状況を調査
調査の結果111戸の絶対不足数が分り、直ちに個人住宅を借用している人の家賃補助を会社に要求。

昭和29年(1954)
日吉岡青年会が発足
高島町青年団は、労組の分裂の影響もあり24年を境に沈滞化していたが、最近再建の気運が盛り上がり、逐次地区毎に結成が行われ、本日は、日吉岡地区が結成。11月3日高島長青年会連絡協議会を発足。

昭和36年(1961)
子供会育成連絡協議会結成
この年、各地区に子供会が結成されるに伴い協議会を結成。
高 島 のびる子供会(3月26日結成)
二 子 二子地区子供会(5月5日結成)
光 町 光町子供会(6月20日結成)
蛎 瀬 かきせ子供会(7月1日結成)
日吉岡 すすむ子供会(7月9日結成)
本 町 さざなみ子供会(7月9日結成)
緑ヶ丘 緑ヶ丘子供会(7月9日結成)

昭和49年(1974)
卓球場がボーリング場2階に開設
10時~20時、使用料1時間50円で開設。

昭和57年(1982)
反核、高島の集いを開催
高島共闘会議の主催で、福祉会館で350名余参加、コンサート・映画などを開催。

平成3年(1991)
町営住宅の集約について懇談会を開催
町営アパートの空室対策として、集約の方針で、本町A・B・C・F・西浜3・4号アパートを対象アパートとして、該当住民の移転同意のための懇談会を開催。

平成4年(1992)
元高島町教育長、宮川正義先生の叙勲祝賀会を開催
4月29日付き勲五等を叙勲され、中峯町教育長、旧高島中学校の先生が発起人となり、ニュー長崎ホテルで17時30分より約60名が参列して祝賀会。

平成5年(1993)
第1回親睦バドミントン大会を開催
町体育協会をバドミントン部主催で、36名が参加し、中学校体育館で4つのコートに別れて開催。

九高会員(元高島炭坑従業員で福岡県内在住者の会)30名来島

6月19日 

明治3年(1870)
坑夫の暴動、兵隊が取鎮める(他に3回)
賃下げに反対し、3、4百人浜辺に集まり外人部屋や機械場を襲うことを相談していることが分かり、深堀より警備の者を要請したが、差し向けることが出来ないとのこととなり、佐賀政府に要請したところ、諫早より兵隊が出向き、首謀者を逮捕取鎮める。

明治38年(1905)
第一坑(中山坑)廃坑

昭和41年(1966)
石炭政策答申にバイク隊抗議行動
答申を前に、バイク行進活動に高島組合員30名参加。

昭和42年(1967)
高島砿、二子斜坑を廃止し二子新立坑より入昇降
新立坑は、昭和40年10月1日完成し揚炭を行っていたが、本日より全て作業員も新立坑より入昇降を開始。

平成4年(1992)
香焼老人クラブとの交流ゲートボール試合を開催

平成9年(1997)
県少年劇場「赤カラス大明神」の公演を開催
県派遣の劇団「タンポポ(本部は浜松市)」、団員8名は昨日より来島し、中学校体育館で舞台準備を行い、本日10時より、幼稚園から中学生までと一般50名余の顧客を前に約1時間30分公演。

6月18日 

明治21年(1888)
「高島炭坑問題」本格化
20年12月17日福陵新聞に「高島炭坑坑夫の惨状」の記事が掲載され、これに端を発し、21年6月18日雑誌『日本人』の記事が大反響を呼ぶが、21年9月13日政府の調査発表で論争に終止符を打った。

昭和12年(1937)
詰所制度を設ける
居住上の管理統制は勿論、労務者各自の公私生活全般にわたり指導世話の責に任ずとの主旨で設けられる。

昭和21年(1946)
劇団永久座来演(入場料3円)

昭和23年(1948)
職員組合主催「二十の扉」大会を開催
ラジオで好評の番組「二十の扉」を取り入れ、問題は各課持ち回りの迷題、奇題より選び開催。百余名の出席者の所望で予定時間を延長するほどの盛会であった。

昭和33年(1958)
炭労、春闘100日スト妥結
炭労は2月23日に賃上げ要求を提出するが、「ナベ底景気」に入りつつあった情勢のため困難な闘いとなり、3月13日より20日まで断続的に5日間の一斉全面ストを実施し、更に高島労組は21日よりは炭労指令により重点無期限ストに突入するが、突入の組合員には、生活給として炭労全山のプールカンパや、地元商店の5分~1割引の協力などがあり、従って余り危機感がなく膠着状態の争議となるが、遂に6月3日斡旋が入り、13日受託を表明し諸問題の処理を図り、6月18日重点ストを解除するが、全面ストと併せて100日間の長期ストとなり解決。

昭和57年(1982)
牧村三枝子、夕張新砿遺族救済と高島慰安のコンサートを開く
カンテラにふるさとを求めて、ポリドールの人気歌手、牧村三枝子が夕張新砿の遺族救済のチャリティーコンサートを開くが、夜の公演に先立ち入坑前の坑員に、ヒット曲「みちづれ」などを歌い激励。

6月17日 

昭和26年(1951)
三長連合合同音楽演奏会を開催
三長連主催の音楽演奏会を、協和会館で観衆約1,500名の参集の中で開催。

青年団4年振り雲仙への旅行を実施
今回は、バスを利用しての旅行で、三菱健保雲仙保養所に宿泊し、充分に鋭気を養い帰島。

昭和51年(1976)
町教育委員会と議会教育民生委員会の懇談会を開催
初めての催しとして開催。教育委員会は、学校の主任制の問題、教育民生委員会は、先進地学校視察の結果についてそれぞれ意見の交換を行う。

昭和62年(1987)
電気、九電に切替え工事に伴う説明会が開催
砿業所発電所を閉鎖して、63年1月から九電に切替えの為の工事の説明会を開催。

平成2年(1990)
地区対抗ミニバレーボール大会に、郵便局長杯の寄贈
今回、優勝カップが寄贈され、男子・高島、女子・光町、初受賞。

平成4年(1992)
東海岸県道沿いの花壇に花苗を定着
老人クラブ・老人ホーム・町職員の計93名が参加し、サルビア・マリーゴールド・コリウス等4種類、10,000本植栽。

6月16日 

昭和32年(1957)
長崎より招待選手を迎え、第4回高島駅伝大会を開催
10時、児童の部より出走開始し、長崎招待4チーム・寮・地区の対抗と、島民の熱狂的な声援の内に展開され、15時40分無事に終了。優勝は、児童の部日吉岡、寮地区対抗本町、招待の部一位三菱造船A、2位時津町、3位高島町、4位三菱造船B、5位三菱電機。

昭和48年(1973)
二子坑、深部と浅部に鉱区を分離登録
深部(二子炭鉱)、浅部(高島炭鉱)とに鉱区を分離登録。

昭和61年(1986)
高島労組・県共闘会議主催「高島存続決起大会」を開催
10時より、東海岸公園で450名結集。県労評より40名参加。

昭和63年(1988)
進出企業の高島久松、雇用の説明会を開始
5月17日、縫製工場進出について、高島町と久松が調印を行い、本日採用説明会を開催。男女230名余が説明を受ける。

平成6年(1994)
老人と子供の集いを老人クラブ主催で開催
小学校体育館で実施、世代間の交流と子供たちの健全育成を図るために行われ、低学年は、折り紙・お手玉・あやとり、高学年は、竹馬・竹笛等それぞれ老人クラブの皆さんが指導。

6月15日 

昭和45年(1970)
長崎保養センター「たかしま荘」開業
高島町は、長崎市中町5-21、元徳島屋旅館(37年4月建築、鉄筋5階建て、283坪)を、2月上旬に3,957万円で購入し、客室10室、会議室2室の内部改造を行い、12日落成並びに祝賀会を行い本日開業。1泊600円。

昭和63年(1988)
高島町自治会連合会を結成
高島・光町・西浜・本町・小島の5地区に自治会が結成され、本日連合会を結成し発足。

平成5年(1993)
新し尿処理場の落成式を挙行
平成4年11月4日起工の新施設が完成し、関係者参列の下、通水式を行い完成を祝った。鉄筋コンクリート造り、地下1F・地上2F、950㎡、処理能力3㎘。工事費328,682千円(国庫164,567千円)。

平成6年(1994)
商工会が、町民の意識調査を実施
商工会では、地域経済の活性化とまちづくりを目的に、町民の意識調査を自治会等の協力で、15日アンケート用紙を配付、結果は、世帯数619戸 配布548通 回収429通 回収率78.3%。

6月14日 

昭和23年(1948)
出稼優良者に特配
2月・3月にそれぞれ25方以上の出稼者に対して、煙草40本・砂糖1オンスが特別に配給。

昭和47年(1972)
民生委員協議会全国民生委員協議会長賞受賞
高島民生委員協議会は社会福祉活動の功績により会長表彰を受賞。

6月13日 

明治41年(1908)
蛎瀬坑に、直流30kw発電機が設置され各戸に点灯
明治35年9月尾浜の直流110v・10kw、明治36年5月蛎瀬の直流110v・11kw設置の両発電機を廃止して、新たに蛎瀬に30kw発電機1台を設置し、初めて島内社宅各戸に点灯が行われる。

昭和23年(1948)
三寮・寮友会演芸会開催
第一・第二・百万寮の三寮が、親睦を兼ねて開催。

昭和61年(1986)
NHKテレビ「閉山前の高島」を放映
27日の定例会議で、抗議の意見が強く述べられる。

平成6年(1994)
中学校バドミントン部の活動状況がNBCテレビで放映
先に郡南中体連で優勝の快挙に至るまでの、全生徒16名の日頃の練習風景等を9日に取材、本夕18時30分よりNBCテレビで放映。

6月12日 

昭和42年(1967)
二子坑、自走枠払稼働開始
40年11月より試験的に使用していたが、今回六御磐砥払に全面的に設置、本格的に使用を始めるが、傾斜層払でその成果が注目される。

昭和43年(1968)
町立診療所(産婦人科)開院
緑ヶ丘、中学校校庭下に、鉄筋コンクリート造3階建、面積394.9㎡の産婦人科4病室、床数9床の診療所を建設。町立診療所として開院。51年3月には伊藤病院に引継がれ、内科の診療を行う。

平成元年(1989)
町の花「つつじ」・木「あこう」と決定
平成2年長崎県において、第41回全国植樹祭が開催されるに当たり、県下各町村においてもそれぞれ「市町村の木」等を指定し、緑化運動を推進しており、高島町でもこれを機に「町の木、花」を指定することになり、町長、助役、教育長、正副議長、総務、厚生各委員長、各自治会長の計12名で選考委員会を構成し、審議の結果、木「あこう」は全員、花「つつじ」を大多数で決定。

平成4年(1992)
琴海町、老人クラブとの交流グラウンドゴルフ試合を開催
元高島炭坑従業員の人も含め20名来島、福祉集会所で昼食後12時開会式。町長挨拶後試合を開始しホーム9名も参加し総勢49名。6班編成しA・Bに別れそれぞれ2試合行い、琴海チーム1~2位、終わって集会所で交流会を開催。

6月11日 

昭和20年(1945)
端島、米潜水艦による魚雷攻撃を受ける
初めは、戦闘機の攻撃を受け、続いて11時18分頃、突然潜水艦が浮上し、折から荷役中の石炭運搬船「白壽丸」(3.600t)に魚雷攻撃、船は被弾し沈没、2発目の魚雷は岸壁に命中し、攻撃を終えた潜水艦は悠々と浮上したまま三ッ瀬方面へ去って行った。「その時の魚雷が31年9月17日発見され、海上自衛隊により引き揚げられる。」戦後間もなくして、この時の模様がユーナイトニュース映画で、高島の映画館で上映された。

昭和48年(1973)
山口製パン屋生協指定として、進発所に開店
軽食を主にした売店として開店

昭和52年(1977)
第3回全国少年軟式野球大会県予選に高島クラブ優勝、県代表
大村西中学校で開催の大会で、本大会には2回目出場の高島クラブ(西彼代表)は、玖島クラブ(大村代表)を延長12回1点差で破り優勝。

アスレチック公園 

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緑が丘改良アパート上の遊び場です。
コンクリート製の蛸をモチーフにした遊具がありました。高島を歩いて感じるのは、道路や山道がゴミも少なく、手入れされていることです。この遊び場も遊ぶ子供は少ないでしょうが、傷んだ様子は無かったです。
2007年4月撮影

6月10日 

昭和25年(1950)
高島高校生徒会及びクラブ発足

昭和26年(1951)
全寮慰安演芸会を開催
第一・二六和寮・百万寮で全寮協議会を結成し、第1回総会を開催すると共に、記念の「慰安演芸映画の夕べ」を開催。

昭和26年(1951)
西高高校分校創立2周年記念式典を開催
西岡県知事を迎えて盛大に式典を催し、式後、西高長与分校との対抗野球・排球・庭球・卓球などの親善試合を開催。

昭和49年(1974)
町図書館が、小学校より勤労福祉会館に移設
小学校図書館室は、老朽化が進み新設の勤労福祉会館1階に移設。

昭和50年(1975)
第6次石炭政策答申を控え、議会代表上京し陳情
正副議長・各常任委員長は、炭労の第二次中央行動団に併せて上京し、石炭協会・石炭鉱業審議会・通産省に陳情活動。石炭鉱業審議会は、7月16日国内炭を可能な限り活用するとの基本理念を答申。

昭和62年(1987)
木造社宅残留者の光町アパートへの転宅抽選会を開催
金堀・仲山の旧職員アパート等の木造住宅入居者を、全て光町アパート空室に集約するためにその抽選会が行われ、7月中旬までに転居。

平成2年(1990)
環境美化行動の日、全島一斉清掃
県は環境週間(6月5日~11日)期間中の6月10日(日曜日)を「環境美化行動の日」と設定、町でもこれに合わせ町内全域の清掃を実施。

6月9日 

昭和37年(1962)
戦没者慰霊碑建立
高島公園内(小島)に、175柱の戦没者の慰霊碑を建立。建立時現在、遺族会員所帯数68所帯。

昭和43年(1968)
国体完遂県民総参加大会、平和の火リレー
野母崎町より引き継がれた国体炬火は、小・中学校の手により島内を一周。中学校校庭では、炬火台に点火「長崎国体を成功させよう」と決起大会を行い、炬火を再びトーチに点火し、伊王島へと引継いだ。

昭和44年(1969)
6卸で自然発火、5日間臨時休業
6卸8片付近で5時30分頃自然発火が発生し、会社は、14日まで臨時休業で対応する。幸い一人の死傷者なし。

昭和61年(1986)
高島労組、所長宅に第1回の抗議デモ
採炭1番方昇坑者を中心に展開。

昭和62年(1987)
衆議院石炭特別委員来島
閉山後の状況視察に来島。

平成7年(1995)
小学校児童が田植え
裏庭に新設された田んぼにおいて、稲(もち米)の苗植えを行うが、皆田植えは初めての経験で、泥んこになり大はしゃぎ、無事植え終り、年末には収穫した「もち米」でもちつき大会を行うと、胸膨らませ成長を楽しみに見守る。

6月8日 

昭和32年(1957)
会社主催で、時事講演会を開催
朝日新聞西部本社根津菊次郎氏を迎えて、19時より別館で開催されるが、原子力問題・防衛問題・日中貿易問題等について適切明解な説明で参集者に好評。

6月7日 

昭和39年(1964)
新和寮、一部を一般世帯用に改造
2部屋を通しに1部屋にし、一般世帯者30世帯分に改造。

平成8年(1996)
新田利男消防団長が消防庁長官表彰を受賞
4日の県消防大会で表彰状を受賞。

6月6日 

昭和34年(1959)
女子従業員の慰安遠足会を実施
日頃レクリエーションに恵まれない女子従業員のためにと、会社・健保共催で初めて実施され、参加者73名が6日18時30分初最新型エアバス2台に分乗して大波止発→嬉野泊、7日西海橋水族館を見物して17時無事大波止着。

昭和49年(1974)
各省庁連絡協議会員一同、端島問題で来島
役場で事情聴取後、端島跡地を視察。

昭和50年(1975)
合理化案ほぼ会社提案の通りで解決
会社提案に対して組合は、5月13日条件闘争を確認し、ストを含む対置要求闘争の結果、6月6日妥結し、7月1日新体制操業に入る。妥結の主な内容3払60万トン/年、277名削減。

平成5年(1993)
創価学会「地域祭」を開催
体育娯楽センターで、13時より片山保健婦の講演に引き続き、演芸(踊り、カラオケ)などが行われる。

平成9年(1997)
大丸デパートで「来んね高島」の写真展を開催(→24日)
大丸デパート3階~6階のステップギャラリーで、「来んね高島」と「観光高島」の写真展を開催。

6月5日 

明治27年(1894)
三菱、横島の坑区を取得
明治25年、長崎の尾上栄文と深堀の峯眞興が試錐を行い五尺層を発見し、その坑区を三菱が尾上栄文より譲り受ける。明治30年2月出炭開始、将来有望視されていたが、再三の坑内湧水に、多大の労力と経費28万円を投じ、種々の対策及び研究を重ねたが、成功の見込み無しと遂に明治35年1月27日廃坑となる。

昭和27年(1952)
蛎瀬厚生課売店が開店
山手木造社宅下(山手浴場付近)に厚生課売店として開店。

昭和58年(1983)
環境美化行動の日制定町内一斉清掃を実施
町の音頭取りで衛生自治会・PTA・子供会の参加で行われ、1,932人参加。空き缶5,600個を回収。

2007トマト大感謝祭 



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天気が心配でしたが、前日の雨もあがり、予想を超える人で賑わいました。ビニールハウスのトマトも沢山なっていて、もうこれ以上は持てないくらいトートバッグ一杯になりました。家族連れで来られた人も多く、トマト一杯、両手に持ってる人も。
トマトを採るにに夢中でトマト畑の写真を撮り忘てましたが、最後は色付いたトマトは一個も残ってませんでした。

吹奏楽器の演奏や、高島を題材にした創作紙芝居、最後はやっぱり炭鉱節等イベントも楽しませてくれました。
高島の人たちの暖かい見送りで5時間ほどのトマト狩りを終えました。来年もある予定だそうです。

6月4日 

昭和31年(1956)
人形劇と講話を開催
炭鉱文化協会派遣の九州学芸大学講師矢野洋三氏による主婦対象の生活改善講習会が4、5日各集会所で開催されるが、講話に先立ち講師独特の指人形劇や腹話術で参加者を魅了。

昭和33年(1958)
佐藤新知事が高島町を訪問
町側幹部や組合幹部と懇談会を開催。

昭和60年(1985)
演芸教室を開催
長崎市の嘱託野中先生を招いて、月1回定例に開催。

昭和63年(1988)
第40回高校総合体育大会に高島高校最後の参加
男子8名・女子5名・計13名、全員バレーボールに汗を流し、本大会に出場、臆する事なく堂々と戦い、2セットで5点ではあったが、その戦いぶりは観客にさわやかな感動を与えたと新聞も報じた。

平成8年(1996)
「熊さんの出前ラジオ」NBC生放送
議会議場を特設スタジオとして、約2時間半、生放送が行われる。

6月3日 

慶応4年(1868)
高島炭坑共同経営契約が成立(潤4月13日)
佐賀藩とグラバー商会との正式契約の内容
1.出資・利益・損失負担は等分、但し佐賀藩は現金を出資せず、グラバー商会が全額出資し利益から差引く。
2.出炭1t当り、1両を地代として地主の深堀家に支払う。
3.販売はグラバー商会が行う。
4.契約期間は7年半。
など。

大正3年(1914)
暴風雨により大きな被害を被る
高島では帆船6隻沈没、端島では炭坑住宅76戸が倒壊する被害を受ける。

昭和43年(1968)
高島高校男子、県高総体バレーボール初優勝
4月27日県下高校春季バレーボール選手権大会で優勝。5月5日全九州高校バレーボール選手権大会で準優勝。6月3日県高総体で初優勝し、18時20分帰島後トラックで島内一周のパレードを行う。7月31日全国高総体(於広島)3回戦、宮城祇園寺高に2:0で敗れる。10月3日福井国体に出場、2回戦、新潟高校に3:2で敗れる。

昭和47年(1972)
石炭体制委員会答申に対する中央陳情活動に参加
第5次石炭政策確立中央動員に、労組代表11名、主婦会代表2名上京し、陳情活動に参加、6日には議会代表として、正副議長・正副常任委員長上京参加。

平成元年(1989)
富田病院長宅が診療所2階に転居
病院の規模縮小に伴い、常時診療の目的で、住まいを診療所2階を改造し転居。