7月29日 

昭和34年(1959)
プロ野球オールスター戦テレビ観戦のために無断早昇坑禁止の警告が出る

昭和59年(1984)
端島砿閉山10周年記念式典を開催
参加者350名、福祉会館で式典を盛大に開催。

高島中学校県中体連で活躍

男子、軟式野球3位。柔道、団体2位。

平成8年(1996)
長寿社会づくり事業として「高齢者健康相談教室」を開催

平成9年(1997)
中学校2・3年生、北海道に体験学習

生徒減のため、隔年で2学年合同で実施となり、8月2日までの学習となる。

7月28日 

昭和54年(1970)
肥満児スポーツ教室を開催
保健センターの計画で実施され、親子20名が出席して、栄養士の講座・料理教室・スポーツ教室などが2泊3日にわたって開催。

平成元年(1989)
台風11号来襲
9時45分頃台風の目が通過し北上。公共施設被害(公園、樹木含む)約700万円、事業所関係(シーテックスなど4社)約1,000万円、弔祭場の慰霊碑倒壊、本町民家の被害かなり大きい。

平成10年(1998)
町、ホームページを開設
インターネットを導入し開設するが、内容は、町の概要・観光スポット案内・特産物の紹介・飛島磯釣り公園の案内や釣り状況、高島の歴史・端島・イベント紹介などとなっており、開設式では豊田町長が一番最初にアクセス。

平成12年(2000)
恒例行事のちびっ子探検隊4・5年生、7名中ノ島に上陸し、カレーに挑戦

7月27日 

明治11年(1878)
大暴動が起こり、グラバー難を逃れる
賃上げを要求し坑夫が大暴動、27日長崎より巡査13人出張。28日早朝、暴徒の勢いに社員は防ぐ術なく長崎へ退避。鎮撫の巡査を取り囲み数人に傷を負わせる勢いで、急報で長崎より巡査60人の応援を得て、29日漸く鎮圧する。
暴徒が小島のグラバー邸に押し迫るの報に、グラバーは取るものも取り敢えず金松峠を越え難を逃れる。

昭和46年(1971)
高島全国家庭婦人バレー大会3位入賞
東京駒場体育館で開催の第2回全国家庭婦人バレーボール大会で、高島チームは善戦見事3位に入賞。

昭和61年(1986)
労働陳情団、中央行動を行う

石炭労協による第2次中央動員に、高島労組より16名が参加し、30日まで行動する。

平成4年(1992)
企業誘致は、就職希望者が少なく断念
町では、企業誘致にかかる町民該当年齢者(20~55才)に対して就職希望者のアンケート調査を実施の結果、13名と少なく、やむなく断念と議会全員協議会で報告。

7月26日 

明治30年(1897)
争議
坑夫が再び罷業の挙に出て、26日になり入坑・就業の運びとなった。この頃、納屋は4つで、納屋の所属者は300人ほどであった。

昭和61年(1986)
中体連県大会(諫早市)で、バドミントン・柔道入賞
バドミントン ダブルス3位→九州大会出場(大分に勝ち、熊本に負け)
柔道 団体3位。
柔道 個人2位→九州大会出場。

平成5年(1993)
中学校、北海道方面へ体験学習
2年置きの体験学習、今回は東北海道方面、東京都内の5泊6日(阿寒、網走、清里町での農業体験学習、東京都内観光)。31日17時30分帰島。

平成6年(1994)
高島グリーンファーム、メロンを販売

トマト栽培の農閑期を利用しての試験栽培、本日初売りされ味も良く好評。

平成7年(1995)
稚魚を南風泊漁港内に放流
マダイ稚魚1万匹、クロダイ稚魚2万匹を放流。

平成10年(1998)
第3回高島ふれあい釣り大会を開催
強風と時折り大粒の雨が降る生憎の悪天候であったが、約200名が島を訪れ、釣り公園では、ファミリーの部が好調で、一般の部の大物はイサキの44.5cm。海水浴場では天気も安定し、スイカ割り・ビーチフラッグ大会・ジャンケンゲームなど催された。

7月25日 

明治9年(1876)
坑内火災、坑主・後藤象二郎、東京より駆けつける
坑内でガス爆発が発生し、火は忽ち全坑内に蔓延し、坑口を密閉するも鎮火に至らず、後藤象二郎が東京より馳せ参じ、坑内に海水を注入し、8月24日漸く鎮火することが出来たが、今度は注入した海水を揚水するポンプを英国より買入れの為、到着まで日時を要し、為に翌明治10年3月末に至って坑業を回復するに至った。

昭和23年(1948)
炭鉱文化連盟主催芸能コンクール予選会を開催
高島予選会の結果、歌謡1位 椎山正徳、2位 小柳寛
舞踊1位 松岡スミ子、2位 大崎花子

昭和57年(1982)
高島中学校、中体連でバドミントン団体・ダブルス・柔道個人戦優勝
佐世保で行われた、中体連バドミントン大会で、女子が団体・ダブルス共に優勝。シングルは2・3位の優秀な成績を上げる。バドミントン女子は、8月8日宮崎市で行われた九州大会で3位。柔道個人も中体連で優勝し、熊本での九州大会で2位。

平成2年(1990)
長崎汽船ダイヤが改正、1便増便
19日ダイヤ改正について、議会代表・他の計7名13時より長崎汽船に陳情の結果、1便増便し8便となる。

平成5年(1993)
香焼・伊王島・高島3町親睦グラウンドゴルフ大会を開催
10時より西海岸グラウンドで開催。

8月24日 

明治7年(1874)
尾浜に斜坑を開坑
ゴマ五尺層採掘のために開坑(二坑と称し、南洋井坑を一坑とする)(二坑は明治23年、一坑は25年終掘)。

昭和30年(1955)
小学校PTAは完全給食実施について、促進委員会を結成


昭和52年(1977)
落盤事故で、3名殉職の重大事故が発生
飛島2卸2片胡麻層払において、落盤により3名死亡、7名重軽傷を負う重大災害が発生。

平成2年(1990)
簡易水道事業地鎮祭を挙行
2ヵ年の継続事業で、本日11時より、金堀の管理棟建設現場で施行者の西部建設によって地鎮祭を挙行。

7月23日 

昭和28年(1953)
北九州の大水害地へ救援物資を送る
北九州地方は6月26日未曾有鵜の大水害を被り、高島町は72梱包を被災地へ送る。

昭和61年(1986)
石炭サンプル、2万1,000個を作成し販売
主婦会の協力で作成し、県労評を通じて闘争資金のため販売。

平成10年(1998)
福江市の自治会長が来島し、意見交換
自治会長10名が来島され、高島の自治会長と意見を交換。

7月22日 

昭和14年(1939)
小学校高等科2年生坑内体験就労
長崎職業紹介所は、長崎市内小学生の夏期実習の新しい試みとして、炭坑の労働拡充が叫ばるる折り、山里・稲佐・伊良林各小の希望高等科2年生15人を20日間、監督訓導付添で坑内体験を実施する。
(感想)初めは汚い姿で入坑する人々を見ると、いやな気持ちがしていたが、日を経るに従って戦争に是非必要な石炭を採掘する、兵隊さん同様の人と思えて来て感謝に頭が下がった。

昭和22年(1947)
労組青年部結成大会を開催
部長 田代和良、副部長 工藤隆利・行竹妙子。

昭和29年(1954)
絵画部で児童スケッチ画を指導
夏休み中に5回、町内各所でスケッチ画を指導。

平成2年(1990)
第3回高島音楽祭(アマチュアバンドコンテスト)開催
青年連絡協議会主催で、今回よりふるさと活性化基金よりの130万円の補助を受け高島町を町外にアピールし、若者等の交流による町活性化を目的としたイベントで、県内の大学、高校生のアマチュアバンドを12時より14時45分まで、小学校野外特設ステージで開催。

平成12年(2000)
NBC長崎放送の「夏の特番」を撮影
ふれあいキャンプ場などを紹介。

7月21日 

昭和28年(1953)
会社、九全労に希望退職者募集を提案
朝鮮動乱による異常な活況を呈した石炭産業も、休戦と共に逐次悪化し、加えて電力事情の好転、石油統制撤廃以後の石炭から石油への転換の活発化、炭労63日間の長期ストの影響等で、出炭制限と合理化を遂行しなければならなくなり、希望退職者募集を、8月より実施するとの提案が行われた。

昭和38年(1963)
東大柔道部員来島
島内見学後、高島柔道部員との交歓試合を行い、東大部員1勝4敗2引き分けの成績。

昭和61年(1986)
高島労組、独自に高田県知事に対して陳情

平成8年(1996)
いきいき長寿まつり、演芸会を開催
老人クラブ連合会主催で、民舞会、扇寿会の踊りのほか、カラオケなど、体育娯楽センターで12時30分より16時まで開催。

平成10年(1998)
幼稚園「夏祭り保育」を開催
夕食はカレーを食べ、キャンプファイヤー・花火・お化け屋敷などと両親と共に楽しく過ごす。

NBCテレビ「あお空高島」を放映

本年6月4日に取材された分で、約50分間放映される。

テレビ放送のお知らせ。 

7月20日(金)NCC長崎文化放送、「はなきん」(9:55~10:30)で高島特集が放送されます。内容は夏の高島!高島海水浴場がメインです。30分放送内で15分ぐらい放送予定です。

7月20日 

明治6年(1873)
日本坑法公布
国際裁判が引金となり、鉱物資源の国有と外国資本の排除を基本方針として公布され、明治6年9月1日より施行される。

昭和22年(1947)
各課対抗野球大会を開催
協和会主催で開催され、8課が参加し、優勝は坑務課8:1で勤労課を破り優勝。

昭和23年(1948)
海の日記念日を正式に会社行事に

昭和24年(1949)
砿業所毎の記念行事として、船員のペーロン競漕を開催


昭和30年(1955)
霧島昇来演
久し振りの実演に、超満員の大盛況。

昭和43年(1968)
タメシ10万トン貯水池落成式挙行
ガルクシールライニング工法で完成。11時より現地で盛大に落成式を挙行。

昭和45年(1970)
町営小島プール開き
25m、5コースプール1基及び幼児プール2基が総事業費15,350千円(このうち国庫1,200千円、起債9,200千円)で完成。

昭和49年(1974)
西浜プール開きを開催
西海岸公園事業のうち総事業費48,000千円で、保健センター横ボタ山の麓に50mプール7コース1基と幼児用プール2基を建設。

平成元年(1989)
青少年育成協議会が改組され、その第1回総会を開催
今までは、小・中PTAのみでの組織を、自治会、他団体の協力を得た活動を目指し組織を改組。

平成9年(1997)
海水浴場開きが行われる
8時30分より神社総代会で町幹部関係者を招聘して神事で行われる。

第10回高島音楽祭、町民感謝の夕べを開催
海水浴場のウッドデッキにステージを設けて、15時30分より音楽祭を実施。アマチュアバンド6組出演し、先生グループの「狂」が優勝し、賞金の20万円獲得。18時30分よりカラオケ大会、歌手 西尾夕紀の歌謡ショー、最後を2,000発の花火で飾る。

第2回ふれあい釣り大会を開催

県内外より461名の参加があり、飛島磯釣り公園で6時30分より14時30分まで開催され、イサキ・チヌ・クロなどの大漁で好評。

平成10年(1998)
NBCラジオ「熊さんの出前ラジオ」海水浴場より生放送
「海の日」特別番組として、9時より11時30分まで生放送され、町長・建設産業課長が出演し、高島をPR。またトマト羊羹、アロエソーメン、軍艦島せんべいを紹介。

平成11年(1999)
「'99 UMIBOUZ IN 高島」を開催
昨年の「高島ふれあい釣り大会」に加えウォークラリー大会、ビーチフラッグ大会、水着でカラオケ選手権、映画祭り、大抽選会、テレビの生中継など、盛り込んだ内容で、島全体がイベント会場となり、雨が降ったり、晴れたりの天候にもかかわらず、町内外より1,250名の参加で一日中大変な盛況。

平成12年(2000)
「UMIBOUZ IN 高島」を開催
第5回を迎えた釣り大会を始め、昨年の行事に今回新たに「ミニミニトライアスロン」と「第1回長崎県スイカ割り選手権」のビーチゲームが加わり、1,150名の方々が参加。

7月19日 

平成9年(1997)
磯釣り公園、海水浴場オープン式典を開催
飛島橋入口で、11時30分より、水産庁漁港部長・高田県知事・伊藤市長・近隣町長・議長ほか・町内招待者を含め約400名参列の下、式典が行われ後、園児12名を先頭に橋の渡り初め。12時30分より体育娯楽センターで、祝賀パーティーが行われ、民舞会・扇寿会の祝賀舞踊が披露されるなど盛大に祝宴。

7月18日 

昭和31年(1956)
会社、職員昇格試験を5年ぶりに実施

昭和33年(1958)
水対策で、休船中の水船を運行
5月10日頃より雨らしい雨が降らず、加えて使用量の増加もあり、給水制限等を繰返す状況で、水不足解消のため、海底水道敷設後初めての水船(朝顔丸)を運行。なお、会社は19日11時より深夜に及ぶまでの6回の雨乞いを祈願。

昭和42年(1967)
高島高等学校、自衛隊の上陸用舟艇利用に革新団体抗議
例年、朝顔丸で野母港へ行き、徒歩で高浜海岸に向かっていたが、今年初めて自衛隊の上陸用舟艇で、直接海岸へ上陸したが、高島の革新団体の知るところとなり、高島へ帰島直後、校長に対して厳しく抗議。

昭和63年(1988)
武道場取壊される

平成元年(1989)
長崎汽船ダイヤ改正され、9便から7便へ
8時30分より11時までの便が無く、商売人は来島するのに不便との意向の人がいるとか。

7月17日 

昭和55年(1980)
社会福祉協議会が福祉バザーを実施
外勤詰所前の埋立地空き地で行われ、売上げ金191,862円。

昭和61年(1986)
会社が「心を一にして最後まで頑張ろう」を掲示

平成7年(1995)
議会庁舎建設特別委員会が他町ホールを視察
大ホールの電動椅子の装置、状態を参考にするために、野母崎町民センター・時津町公民館、両ホールを視察。

7月16日 

大正5年(1916)
蛎瀬坑、坑内火災・密閉で採炭区域を失う大打撃を受ける
砥先で漏電から枠木に移り出火、粘土その他で密閉、焼死・窒息死3人、26日完全密閉し、8月中旬より復旧作業に掛かるが、新五尺層以外の各層の採掘区域を失う大打撃を受ける。

昭和14年(1939)
勤労奉仕、益金は国防献金する
所長、職員以下100人で二子表海岸貯炭場沈澱炭引上げの勤労奉仕を行い、益金は全額国防献金とした。

昭和32年(1957)
アイヌ民族の無形文化の鑑賞会を開催
小学校講堂で、アイヌ民族の宗教的行事・思想・風俗習慣など、昔ながらの生活様式の中に見られる無形文化を純粋なアイヌ人数名により小・中学生・PTAに公開。

昭和53年(1978)
鉱命延長と拡大、産炭地の生活を守る高島地域集会を開催
労働組合主催で、10時より福祉会館で開催。

平成11年(1999)
愛知教育大生、高島視察に開催
愛知教育大、先生2名と学生19名は、9時半着で来町、島内を巡り、その後役場担当課長に今後の町政について尋ね離島。

7月15日 

昭和50年(1975)
県議会、土木経済委員会一行高島視察に来島
12時30分より勤労福祉会館で、町・会社・労組より炭坑存続の陳情を受けて、15時に離島。

昭和58年(1983)
ヨガ教室を開催
国際ヨガ協会長崎支部長大我秀喜先生を招いて7月~11月、月2回開催。

昭和61年(1986)
県議会で、高田知事が「島に応じた活性化を検討中」と発言
高島町課長級が順番で県議会を傍聴中に発言。

平成12年(2000)
社会福祉集会所を改修
主に階下の改修を終えて各部入室。

7月14日 

昭和60年(1985)
世界国際青年年「たかしま青年の集い」を開催
労組青年部が主体となり、小学校体育館で開会式後レクリェエーションとして、ミニバレー・綱引きなどが行われた。

昭和61年(1986)
組合委員会で、県は閉山後の跡地対策を検討中と報告
23日~24日の炭労大会で、高島砿の存続を強く要求するが、併せて県知事の真意を確認すると報告。

平成8年(1996)
ルネサンス伊王島「ホテルエスパーニャ」落成祝賀会を開催
20日の正式オープンを前に開催され、高島より40名余が招待を受ける。

7月13日 

明治30年(1897)
高島坑、納屋制度を廃止
「高島炭坑問題」の際「納屋制度を廃し、坑夫はすべて炭坑社の直轄と為す事」の提案と坑夫の納屋頭排撃などの事件を経て、困難であった納屋制度の廃止に踏み切った。明治30年7月13日納屋制度廃止の通達が出され、直轄制度実施の日。

昭和22年(1947)
九州炭鉱文化連盟主催、排球大会長崎県予選において、高島優勝
北松、潜竜特設コートで行われ、高島チーム優勝。

昭和41年(1966)
日赤募金、初の街頭募金
町長・町幹部・民生委員による日赤募金、初めて街頭で募金。

平成2年(1990)
旧発電所の取壊しが終る

あっ!ぷる 

7月13日(金)NBCテレビ「あっ!ぷる」で高島特集があります。放送時間時間は9時55分~10時50分。高島特集は12分の予定で内容は「夏休み前に、長崎から気軽に行ける、高島の魅力紹介」で高島つり公園、キャンプ場、高島の特産品、高島フルーティートマトでつくったトマトゼリー、トマトようかん、トマトジャムが紹介されます。

7月12日 

明治9年(1876)
内火災発生、気絶し又は怪我をするもの有り、直ちに引き上げ、医療を施すゆえ死する程の者無し、坑内に海水を注入

明治40年(1907)
二子斜坑開坑に着手
中の島鉱区の十八尺炭層採掘の目的で、25度勾配の平行斜坑2坑の掘削開坑式を7月12日に行い、13日第一斜坑、23日第二斜坑の開削に着手する。明治44年7月斜坑部の掘削を終り、第一水平坑道は859mで大正2年1月26日、第二水平坑道は855mで2月3日、十八尺層に着炭する。

昭和60年(1985)
高島小学校で、自転車安全教室を開催

7月11日 

昭和22年(1947)
新賃金形態を発表
今までは炭価346円に伴う賃金枠坑内50円、坑外35円の平均賃金であったが、炭鉱労働組合全国協議会(炭協)は、1月25日結成と同時に、賃金案を石炭鉱業連盟に提出、5月14日新賃金形態について調印。6月1日より実施となるが、これが今日の賃金形態の基本となった。

昭和30年(1955)
職場対抗ソフトボール大会を開催
18日までの8日間20チームが参加して行われ、日頃自慢の腕を奮っての熱戦の末、予想通り勤労課チームが6:4で二六を破り優勝。

昭和34年(1959)
山手プール開き
健康保険組合の施設として、山手~緑が丘の谷間に本年1月着工の25mプールが完成し、18時よりプール開きを開催。8月15日には、地区対抗水泳大会を開催。

昭和40年(1965)
子供会の風船、流れて熊本・大分へ
光町子供会が、風船270個をアパート屋上より放したところ、その1個が大分市竹中学校の1年生の手に3時間余で届き、また1個が、熊本県南関町の人の手に届いたとの連絡が入った。

昭和41年(1966)
小学校低学年用プール竣工式並びにプール開き
6月1日着工、プール105万円、鉄柵99万円で完成。

昭和47年(1972)
高島地区青少年育成協議会発会
小・中・高校の3校PTA役員が主体となり組織、会長は各校の持ち回りとして、初代会長に小学校PTA会長が就任。

昭和62年(1987)
長崎新聞に「高島の香港村構想について」の記事が掲載

平成3年(1991)
ゲートボール試合に郵便局長杯を寄贈
体協主催で、老人クラブ3、ホーム2の計5チームが参加。9時30分より試合が開始されたが、新しく郵便局長杯が寄贈された。

平成4年(1992)
鶴岡水産庁長官来島
14時35分野母崎町より来島。町民多数と“マリノベーション認定を心から感謝申しあげます”の立看板の大歓迎。公用車で町内殊にマリノ関連を視察し、15時15分盛大な見送りを受け、次の視察地三重新漁港へ向かう。

7月10日 

昭和16年(1941)
高島村学校保護者会が発足
会長は村長、副会長は砿業所副長を充て、任期は2年とする。

昭和24年(1949)
出力505kw主要扇風機運転開始
風量9,000㎥/分、ターボ型主要扇風機の運転を開始するが、これは蛎瀬立坑を排気、二子斜坑を入気とする通気変更に伴う新設備である。

昭和31年(1956)
越中哲也先生の成人講座を開催
「長崎港を中心とした歴史」と題して、長崎市社会教育主事の越中哲也先生の講座を開催。

昭和47年(1972)
高島高等学校合宿所竣工
PTA負担で端島からの通学生の宿泊所も兼ねて、合宿所を格技場下に建設。

7月9日 

平成4年(1992)
昔日の高島を語る会を開催
教育委員会主催。14時~16時福祉会館で、昔日の高島について聞き取り調査を目的に開催。

平成9年(1997)
商工会「お買物調査」締め切る
県商工会の一斉調査に基づき、高島でもアンケート調査を実施。

平成12年(2000)
近隣5ヵ町の町職員のレクリェーション大会を開催
野母ブロック町職員の恒例の行事で、本年高島を会場として行われた。

7月8日 

昭和60年(1985)
小規模炭住改良住宅(光町Cアパート)の起工式を挙行
総事業費 2億8,350万円

平成5年(1993)
三和町、簡易水道施設(為石浄水場)新設工事の地鎮祭を開催
町関係者始め、来賓として地元三和町各課長、議員を招き、10時40分地鎮祭、11時より直会の儀が行われる。

7月7日 

昭和49年(1974)
参議院議員選挙で高島労組推薦の山口候補落選
社会党候補として立候補した高島労組出身の山口健次候補は、及ばす落選。高島の開票結果、山口健次3,449票、谷口よしのり(公)736票、初村滝一郎402票、中田晋介478票。

平成9年(1997)
電話の局番が変更
長崎南部地区の今までの0958が095,8‥‥となる。

平成10年(1998)
高砂園で、幼稚園児と一緒に七夕祭り

7月6日 

昭和34年(1959)
新選炭機、本格的運転を開始
昨年5月着工の東洋一の選炭機は、本年5月完成したが、配置転換問題の解決が長引き、漸く解決し(配置転換 坑内30名、坑外20名(女子8名))、本日本格運転を開始し、同時に全島に蒸気の送気目的の総合ボイラーも完成し運転を開始。

平成8年(1996)
かんぽ健康推進支援事業として、リハビリ教室を開催

7月5日 

昭和5年(1930年)
坑夫を階層別に組織化、指導
独身坑夫修養会参加の県社会教育主事補の談。坑夫の組織化。
独身坑夫=修養会・柔道・剣道・弓道。
世帯持坑夫=戸主会(男)・婦人会(女)
その他=少年団・女子青年団。
各組織に対し「多額の経費を補助」毎週土曜日の夜は、各種団体を労務課長、主任が巡回指導。

昭和27年(1952)
中学校・高等学校共催で、教育芸能祭を開催
小学校講堂において、18時より満場の会場で熱演が繰り広げられ、22時30分まで続けられたが大好評であった。

昭和31年(1956)
衛生害虫駆除、3ヵ年運動がスタート
町では、蚊・ハエのいない高島を目指して、31年から33年の3ヵ年運動を展開し、その第1歩として、6月25日各地区一斉に薬剤散布を行い、スタート。

昭和56年(1981)
新制作座の記念公演
小学校体育館で「嵐の中の男たち」14時と18時の2回公演、200円。

昭和63年(1988)
高島神社改築工事の安全祈願祭を挙行
砿業所が高島を撤退するに際して、相当損傷している神社を改築して氏子総代に譲渡すると、拝殿の改修、神殿屋根の修理、倉庫新築等の改築工事に着手。

7月4日 

昭和29年(1954)
光町子供会が発足
大崎善作氏の世話で、光町の5・6年生67名を対象に結成し、13時より集会場で発会式を行い「そよかぜ子供会」と命名。

昭和33年(1958)
蛎瀬購買会が開店
3月8日に完成していたが、炭労ストのために移転作業などが延々となり、漸く開店。

昭和58年(1983)
労組代表、第6次北炭夕張砿再建中央行動に参加
56年10月のガス突出事故発生後の再建問題で揺れ、炭労は、閉山阻止の中央動員・高島労組代表も参加し10日まで行動。

平成9年(1997)
「長崎ふるさと未来塾」塾生一行が来島
県地域経営センター主催の町づくり研修目的で来島。マリノ事業についての説明を受け、飛島磯釣り公演などを視察。

7月3日 

明治17年(1884)
脚気罹病者が多発し、仮病室を金堀に建築「医師不足ニ付2名ヲ雇イ入レル

平成2年(1990)
西浜アパートで火災
0時30分頃、西浜2号右4階より出火、全焼、人身事故なし。

7月2日 

昭和44年(1969)
大雨で落石、焼却場破壊、重軽傷者9名
火葬場下の蛎瀬街道沿いの焼却場が大雨による落石で潰され、作業中の従業員3名重傷、6名軽傷の被害を被る。

平成7年(1995)
式見湯楽園の南条伸太郎一座の公演を開催
高島民舞会に舞踊発表会に友情出演で、13時より無料で体育娯楽センターで開催。

平成8年(1996)
わらび座公演を開催
ゆめみちゃり「金太と虹色の魚」が青連協主催で、町民体育館で18時より開催。観衆200名。

平成11年(1999)
NBCテレビ「夕顔丸」について取材
長崎~高島間を永年運航し、昭和37年4月1日に廃船となった砿業所社船の「夕顔丸」について、当時の船着場などを取材。