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UMIBOUZ in 高島 



今年も高島の夏がやって来ました。
7月14日~8月31日まで。毎週日曜日(7/15・22・29、8/5・12・19・26)は、氷中宝さがし・スイカ割り・アイスボウリング・氷重量当て・ちびっこ広場のイベントがあります。

詳しくは
今年の夏も「UMIBOUZ in 高島」へ!


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UMIBOUZ in 高島 

朝、高島に着いた時は曇っていて、霧も出ていましたが、それでも多くの海水浴客で賑わっていました。


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氷中宝さがし  氷の中に隠された宝物を探せ!
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スイカ割り 夏の海といえばコレ!
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アイスボウリング  氷の玉でボウリング
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氷重量当て  冷た~い氷を手づかみ  重さをピタリと当てよう!
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午後からは快晴になり、梅雨もあけるんじゃないでしょうか。
毎週日曜日、UMIBOUZ やってます!

8月20日 

昭和45年(1970)
し尿処理場完成
蛎瀬立坑横に、総事業費39,939千円(うち国庫9,300千円、起債17,400千円)で海水希釈による酸化方式。処理能力1日当り12㎘の第3次し尿処理場が完成。

昭和50年(1975)
生協定員削減等で合理化
現定員42名を33名に削減。

昭和54年(1979)
労働組合の黒い霧問題法廷闘争俄終息
45年4月18日発生の「黒い霧事件」法廷闘争に持ち込まれたが、被告側の仮処分申請取り下げにより終息。

8月19日 

昭和22年(1947)
社会問題研究会を開催
武道場に於いて、朝日新聞長崎支局編集局長「世界の経済状況について」の講演を開催。

昭和44年(1969)
高島中学校女子バレーボール九州大会に出場
8月7日佐世保市で開催の県中学校体育大会で、高島中学校女子バレーボールチームは、優勝戦で相浦中に2:1と敗れ2位となる。19日第5回北九州地区中学校バレーボール試合に県代表として出場、1回戦、直方中に2:0で敗れる。

昭和35年(1960)
健康優良児準県一に入賞
日本一健康優良児県代表審査会(県教育委員会)で、高島中男女2名が準県一に。

昭和44年(1969)
高島中学校女子バレーボール九州大会に出場
8月7日佐世保市で開催の県中学校体育大会で、高島中学校女子バレーボールチームは、優勝戦で相浦中に2:1と敗れ2位となる。19日第5回北九州地区中学校バレーボール試合に県代表として出場、1回戦、直方中にに2:0と敗れる。

昭和53年(1978)
高島少年クラブ、第7回県少年軟式野球大会で優勝
1回戦3:1西大村クラブ、2回戦6:5春日クラブ、準決勝戦11:2横尾クラブ、決勝戦0:3高島クラブが優勝。なお、高島クラブは54年にも優勝し、2年連続優勝の快挙を成し遂げる。

平成8年(1996)
県議会、経済労働委員会並びに県職員15名来島
約1時間、マリノ関連事業を視察。

伊王島町子供会17名が来島し、島巡りする

8月18日 

昭和26年(1951)
マージ台風来襲、~21日、蛎瀬立坑横に大穴が開く
18日より荒れ出した海は、21日まで荒れ狂い、蛎瀬立坑横の岸壁下部に穴をあけ、土砂が持ち去られ大きく陥没し、一時は立坑への流れ込みが心配されたが、幸い引潮となり事無きを得るが、一方巡視中の工作課職員1名殉職すると言う痛ましい犠牲者が出る。
また、西海岸で遊んでいた中学1年生が波にさらわれたが、光町の青年4人の1時間半にわたる必死の救援活動で無事救助。

昭和37年(1962)
石炭調査団来島
第一次石炭政策発表を控え、稲葉秀三団長以下3名随員6名来島し、入坑後会社幹部より事情聴取「まず安易感を一掃し、社会的義務を果たすこと。」と訓告。

昭和43年(1968)
高島労組、炭坑国有化闘争九州拠点大集会に参加
福岡市民会館で開催の大集会に、高島労組はバス1台貸切りで参加。

昭和60年(1985)
詰所の合理化、統廃合して、東・西詰所、2ヵ所で発足

平成8年(1996)
長崎地区高校OBバレーボール大会を開催
11校のOBが参加し、町民体育館で再会を喜びながら試合を行う。

8月17日 

明治3年(1870)
グラバー商会、破産を宣告

政局の安定により、軍艦・兵器の注文が激減し、加えて大阪に新店舗新設などの理由から負債が増え倒産、オランダ商会に高島採掘の権限を委譲する。

昭和20年(1945)
高島の人、終戦を知る
新聞などは長崎の軍司令部に押さえられ配達されず、ラジオは聞くことが出来ないために情報が入手できず、終戦二日目に長崎より帰って来た者の知らせで、初めて終戦を間違いないと知ることが出来た。

昭和39年(1964)
端島砿自然発火、深部水没の最悪の事態
2時30分頃自然発火発見、11時40分頃突然ガス燃焼し、1名殉職・重傷30名、29日まで臨時休業、深部区域を水没し操業を縮小、余剰人員400名余を配置転換することとなり、10月19日高島砿に146名を転換。

平成5年(1993)
防犯映画が大浦署主催で上映
子供対象に、15時より福祉会館2階で開催。

平成6年(1994)
ルネサンス伊王島が、会社企業説明会
シンコー物産の突然の閉鎖に伴う従業員の救済として、町では、ルネサンス伊王島に雇用を相談のところ、本日福祉会館で企業説明が行われ、シンコー従業員26名・その他3名・計29名が参加。23~25日面接が行われ、19名応募し、16人を9月1日付け採用。

8月16日 

昭和39年(1964)
久しぶりにペーロン競漕
昭和25年を最後に中止され、その後昭和35年に一度開催されたペーロン競漕が、労組青年部主催で久しぶりに開催。

昭和56年(1981)
県中学卓球大会で優勝
3年生の部、2年生の部で優勝。

明るい社会づくり協議会主催柔道大会で、高島中学校が準優勝

8月15日 

昭和23年(1948)
盆行事
15日 各地区対抗 野球・排球試合・盆踊り。
16日 各地区対抗 ペーロン競漕
17日 職場対抗 ペーロン競漕

昭和31年(1956)
台風9号来襲し、未曾有の被害

15日精霊流しの途中に来襲し、17日朝まで吹き荒れ、全壊173戸・半壊127戸・その他港湾・道路などの公共施設、特に生産部門の決壊破損という島全体がこれまでにない大被害を被り、総額は195,236万余円の被害額となる。会社は15日よりの盆休に引続き17日から19日まで臨時休業とし、災害復旧に当たり20日坑内正常作業に入る。21日には馬場建設大臣・西岡県知事と共に視察に来島。
なお、25年1月より運転していた蛎瀬通勤電車は、線路の流失などにより永久に廃止。
また、29年8月に完成した端島ドルフィン桟橋も流失。

昭和50年(1975)
盆踊りが、就職未定者を考え中止
今次合理化に伴い退職される人の就職未決定の心情を考えて、盆踊りは中止。
(この年に撮った写真があるので、年度違いか?)

平成3年(1991)
勝山小の5年生と父兄、140名来島
高島小学校の校長、児童に迎えられ9時45分着。資料館、ひらめ養殖を見学。展望台付近で昼食後、アスレチックを楽しみ、15時せい丸で帰る。

8月14日 

昭和26年(1951)
砿業所花火大会を盛大に開催
20時30分より2時間余、完成間もない南防波堤より、単発・連続打上げ・最後は仕掛け花火で鮮やかに夜空を彩り、町民大満足の一夜を堪能。

昭和33年(1958)
青年部主催、ボートレース地区寮対抗戦を実施
本町の貸しボートを借りて実施され、光町が初優勝。

昭和45年(1970)
台風9号被害で、県災害救助法の適用受ける
台風は、野母崎方面より長崎市へと通過し、光町護岸の外、光町プレハブ社宅、日吉岡地区社宅が多大の被害を受け、野母崎町と共に、県の災害救助法を適用される。

平成4年(1992)
ふれあいまつり高島、雨で一日間のみ開催
13日強い雨風で中止。14日、10時より準備し、18時頃から盆踊りを始め、途中、19時20分より各団体代表者(8名)によるカラオケ大会を開催する。一日間の盆踊りのため、時間延長し、22時に終わる。子供は「ふわふわムーミン」で楽しむ。

平成6年(1994)
ふれあい夏まつり、台風の影響で14日のみ開催
台風14号来襲の恐れで、13日は中止したが、大過なく14日昼より準備に取掛かり、16時より「ウナギのつかみ取り」を始め、予定通り盆踊りを行うが、一日間のため予定時間を延長して開催。

平成7年(1995)
ふれあい夏まつりで、歌謡ショーを開催
13日・14日両日に開催され、夕方よりウナギのつかみ取りを行い、踊りの谷間には、ラムネ、ビールの早飲み競争が行われたが、14日は新人演歌歌手甲月ななえによる歌謡ショーが行われ好評。

平成9年(1997)
歌手いとうまみの歌謡ショーの後、仮装の一団も加わり盆踊り大いに盛り上がる

8月13日 

大正5年(1916)
コレラ発生、9月上旬終息
周辺を含めて、患者113人、うち死者29人。防疫費、高島9,042円、端島5,055円。

昭和26年(1951)
20年来の夢の桟橋(仮)竣工
23年9月着工の埋立・護岸工事が25年3月に完成し、26年7月半ばより仮桟橋工事にかかり、8月13日11時より竣工式、親子三代の渡初めが行われる。この完成により船に乗るときのハシケの悩みの種が解消され、島民永年の夢が実現。

昭和43年(1968)
団結盆踊り大会開催
砿業所は、会社危機対策(資金対策の一環)として、盆行事一切を中止、これに対して労組青年部と主婦会主催で、団結盆踊り大会を中学校グラウンドで開催。

昭和48年(1973)
初めて、町・会社共催の盆踊り大会を開催
西浜海岸グラウンドで、全島合同で開催。14日は花火大会、出店もあり大賑わい、15日精霊流しは、今年より海の汚濁防止のため流すことを取りやめて焼却。

昭和63年(1988)
第1回「夏まつり in 高島88」を開催
自治会・各団体代表で検討委員会を結成して、内容を検討の結果、初の試みとして東公園で開催。
13日18時より小学生のカラオケ大会、18時40分より伊王島の海竜太鼓の熱演、20時より盆踊り。14日18時より山下文正グループコンサート、20時より盆踊りを行うが、途中降雨のために中止。

平成元年(1989)
「夏まつり in 高島」青連協・島っ子倶楽部共催で開催

16時より、高島小学校校庭において、長崎アマバンドによるコンサート、19時より盆踊り、20時10分頃より役10分間、勇壮な伊王島太鼓の演奏で一夜を終わる。14日引き続き盆踊り、15日精霊流し。

高島でロケの「スカッブラ」テレビ放映

昭和63年10月、高島を舞台とし、NHkテレビのロケが行われたが、本日10時から10時50分放映。

平成2年(1990)
第1回「ふれあいまつり高島」を開催
例年、青連協・島っ子倶楽部で行っていた盆踊りを、7月10日開催の準備委員会で、本年より主管・商工会、主催・自治連合会、後援・町とし、「うるおいと人情のある和の町」高島の実現のため、老若男女が夏の夕べの一時を、楽しくなごやかに過ごし、町民の親睦を図るとの趣旨で、毎年開催と決定し、9日より諸準備を行い、13・14日両日に盆踊りを中心に、夜店も出てカラオケなど色々の催しが行われた。

平成3年(1991)
「ふれあいまつり高島」開催
今年は、子供向けの行事として、ミニSL乗車会、長靴飛ばし大会を盆踊り前に開催。

平成5年(1993)
ふれあいまつり高島、親子パンダを設置
13・14日の両日開催。今年は子供たちのためにフワフワ親子パンダを設置。今までのカラオケに代え、仮装盆踊り大会を開催。

平成6年(1994)
シンコー物産(株)閉鎖
赤字経営を理由に、突然閉鎖し従業員全員解雇。

平成8年(1996)
台風接近でふれあいまつりは中止

平成9年(1997)
ふれあい夏まつり
新高島アイランド音頭で盆踊りを開催16時より子供対象にウナギのつかみ取り、盆踊りは新しく振り付けられた高島アイランド音頭で、盛況。

8月12日 

昭和51年(1976)
豊田労働組合長、炭鉱調査のため訪ソ・訪英
炭労調査団として、9月2日まで訪欧。

平成8年(1996)
高島小学校、閉山時在校生の同窓会を開催
残されている唯一の教室を尋ねたり、タイムカプセルを掘り出して、懐かしく語ったり、夜は娯楽センターで懇親会を開催。

平成9年(1997)
新高島音頭のCDを配布
新庁舎完成に併せて、新高島の唄と踊りが出来、そのCDが各家庭に無料で1枚配布され、踊りは6日に婦人有志に指導が行われる。

8月11日 

明治23年(1890)
三菱が端島炭坑を買収し経営にあたる
三菱では、端島炭坑を鍋島孫六郎(旧深堀領主)より10万円で買収、同時に海底鉱区25万1,000坪を取得する。
明治23年12月23日高島炭坑の支山とし、明治24年2月16日より出炭開始、明治27年1月1日支山から独立するも、明治29年10月22日再び支山となる。

昭和23年(1948)
青年団模擬犯人逮捕行事を開催
犯人の人相などを発表して、3人グループで犯人逮捕までの時間を競う。それに対して犯人は如何に逃げ切るかの行事で、青年団の恒例行事。

昭和43年(1968)
高島高校吹奏楽コンクールに出場
長崎市公会堂で行われた西部地区長崎支部吹奏楽コンクールBの部(25人編成)に出場。

昭和49年(1974)
小学校敷地内の木造校舎を焼却
小学校敷地東側に建っていた、旧小学校校舎利用の図書室、保育園と別棟の旧小学校長宅を消防訓練を兼ねて、消防団によりすべて焼却。

昭和54年(1979)
「青少年不良化の芽」一掃を教宣
砿業所社宅の2戸貸しによって生じてきた青少年非行問題行動について、注意を喚起する意味で、青少年育成協議会は特に教宣を行った。

8月10日 

昭和25年(1950)
二子観音堂、白蟻被害で倒壊
昭和32年10月、仲山神社下の現在地に遍座。

昭和34年(1959)
会社、再びロックアウト宣言、軟鋼カッペー導入反対闘争
組合は、8卸胡麻下層払に軟鋼カッペ導入の会社の一方的方針に反対して、7日採炭夫約150名の無期限部分ストに突入。これに対して、会社は10日ロックアウトを宣言し、16時安全灯室に囲いを施し対抗策を立てるが、11日10時妥結しスト解除。

昭和41年(1966)
中学校ブラスバンド部合同練習成果発表会
三和・長与・東長崎・野母崎・高島5校の中学校ブラスバンド部員170名の合同練習会が、8日より高島中学校で開催。
8日16時より島内パレード、10日19時より20時30分まで中学校グラウンドにおいて成果発表をかねて納涼音楽祭を開催。11日11時閉会式を行う。

昭和52年(1977)
高島高校同窓会、納涼船貸切りで高島一周
同窓会事業として、初めて企画実施。

昭和62年(1987)
砿業所、開坑以来の殉職者慰霊祭を挙行
砿業所の盆の恒例行事殉職者合同慰霊祭の、最後の行事として、開坑以来の殉職者の遺族25名余の参列があり、福祉会館で厳粛に行われる。

平成5年(1993)
台風7号、高島直撃し平戸方面へ
954hp、風速45mの大型台風、権現山では瞬間風速60mだったとか。

平成6年(1994)
久留米工業大学生、来島
18名来島、台風接近で船欠航してはと、目的の端島県学は取り止め、約1時間、高島を見学して、早々に離島。

8月9日 

明治20年(1887)
病院
病院は炭坑社事務所の傍ら山腹の稍高き処にあり(尾浜の旧職員倶楽部横付近)、通常病院4棟、外に遠く人家を隔てたる反対の山背(金堀)に避病院2棟、都合6棟とす。避病院の1は、コレラ病患者、他の1は天然痘其の他の伝染病患者を入院させるものにして、他の4棟の1は診察室、外科施術室、調剤室及び薬庫の4部に区画せり、他の3棟は普通患者の診療室にして内科、外科の類別を以て室を異にせず、病症の軽重を以て之を分けり、各棟1室30~40名の患者雑居せしめ、其の一隅を画して看病夫の居処となす。

昭和33年(1958)
日吉岡各棟毎に共同給水栓を設置
給水設備増設の工事が進められているが、日吉岡では、今まで各丁目毎に設置されていた共同給水栓を各棟毎に設置。

昭和42年(1967)
高島中学校PTA文部大臣賞受賞
PTA会長、上京し表彰を受賞。

平成4年(1992)
元三菱鉱業(株)社長、大槻文平氏逝去

0時17分、急性心不全で逝去される。88歳。

8月8日 

昭和22年(1947)
日本炭鉱連合会(日鉱)長崎県大会が開催される
佐世保市に於いて開催され、上部組織加盟問題で紛争し、高島労組代表は途中退場するが、これが後日高島労組分裂の原因となる。

昭和30年(1955)
購買会総合売店(中央売店)を開店
光町の旧自由市場付近に、6月頃より着工の厚生課中央売店が、鉄骨ブロック一部2階建て(階下は売店118坪、2階は事務所24坪)、店内の照明は蛍光灯という近代的な建物が完成し開店。

昭和35年(1960)
小学校鼓笛隊結成

平成3年(1991)
九電と消費者代表との懇談会を開催

平成5年(1993)
第2回長崎地区高校OBバレーボール大会に町長杯を寄贈
「高島を会場」の定着で2年目の今年、町長優勝カップを設け、高島大会として開催。10チームが参加。

平成7年(1995)
市民グループ「ピースグループ」300名余来島
貸切り船で来島し、各班に別れ島内めぐりを行う。

平成8年(1996)
庁舎、ふれあいセンターの起工式を挙行
平成5年12月定例議会で、庁舎建設基金(15億円)条例を可決後、議会としても建設特別委員会を構成し種々検討、本日起工式。島内70名余の参列の下に開式され、体育娯楽センターで直会の儀が盛大に行われた。

平成10年(1998)
わくわく探検隊
隊員は中学生16名、端島を船で一巡、中の島で飯盒炊飯を行う。

8月7日 

明治18年(1885)
高島村民総代「高島水源枯渇」で会社に損害保証請求
島内の水源が、明治14~15年に全て枯れてきたのは会社の坑業によるの理由で、損害補償要求の訴訟を行う。
明治21年7月30日、坑業は国法によって行なっている。枯渇は三菱が事業を継承する前からの問題などの理由で請求は不成立の判決が下り解決。その後村民総代が託状を提出、これと引換えに坑主より1万円が高島村に寄贈され、これに対する感謝状を提出し、一件落着した。

昭和21年(1946)
希望音楽会(文化青年協会主催)、入場料5円
活水女専音楽教授 深町慶子、バリトン歌手 一ノ瀬克巳、ソプラノ 井上恵子。

昭和32年(1957)
間組に労働組合が結成
下請従業員の組合組織化が、高島労組の指導で進められたが、ようやく組織化される。

昭和57年(1982)
長崎大水害救助街頭カンパ活動を実施
7月23日、長崎市は未曾有の大水害を被り、主婦会が中心となり街頭カンパを行い、277,900円の協力金を被災者にカンパ。

昭和61年(1986)
炭労中央行動、都内でキャップランプデモを展開
8月1日に高島を発った全国縦断キャラバン隊も合流して、都内をキャップランプでデモ。

平成元年(1989)
「健康づくり」町民一斉ラジオ体操を開始
高島町は、医療費が全国でも3番目に高く、国民健康保険事業安定化として、町民の健康づくり対策を推進しており、その一つとして、毎日15時、ラジオ体操の全島放送を開始。ラジオ体操の順序をプリントしたタオルを各家庭に配布し、基礎体力づくりに積極的に参加するよう呼びかける。

平成10年(1998)
KTNテレビ「テレビ見ゆデー」が海水浴場より生放送
郷土史家、越中哲也先生をゲストに迎え、松永友幸アナがインタビューして、海水浴場で「わが町のお宝拝見」、郷土料理、お土産品などを紹介。最後は小学生の「この島はいいよね」の合唱で中継を終わる。

8月6日 

昭和21年(1946)
青年団共同墓地清掃作業
尾浜丘陵の共同墓地並びに千人塚の草刈清掃を3日間かけて実施、昭和24年まで夏の恒例行事となる。

昭和63年(1988)
高田知事、食品会社が高島に進出する見通しと発表
記者会見の場で、雇用人員は65名程度と述べられる。

8月5日 

昭和23年(1948)
坑内夫48時間スト会社は集団サボと断定
4日の従業員大会終了後、一部の呼び掛けで「坑内夫の職場大会」の名目で会議を続行し、満場一致48時間ストを決定し、5日ストに突入するが組合の正式指令によるストではなく、集団サボと見なされる。

昭和40年(1965)
中体連県大会で、高島中学校男子バスケット部優勝

昭和63年(1988)
TBSテレビ「佐賀藩とグラバー」の取材に来島する
10時~15時まで、関係の場所で撮影が行われた。

平成5年(1993)
終末処理場(本町バス停横)起工式を挙行
平成3年10月から着手の漁業集落排水施設整備事業の一環として、本町地区のトイレの水洗化工事に併せ、生活雑廃水も含め全て処理する施設で、建築現場で、10時30分より起工式を挙行。

8月4日 

昭和23年(1948)
従業員大会を開催
賃金を左右する目標函数設定について会社と対立し、それぞれの組合代表が交渉の経過を説明するが、結論を見ぬまま解散となる。

昭和24年(1949)
高島労組炭労を脱退
長炭労(日本炭鉱労働組合連合会長崎県支部)代議員会で「高島労組は会費が未納となっているから、会議での発言権は認められない、除名。」の発言に高島代表は名誉ある除名として退場、26年9月炭労再加盟するまで炭鉱労組統一戦線から離脱。

昭和48年(1973)
生協、旧蛎瀬購買会跡に新装開店

昭和60年(1985)
中学女子九州柔道大会で入賞
熊本市で開催された第8回全九州柔道体重別選手権で、中学2年生が61kg以下に初出場し3位に入賞。

平成3年(1991)
第4回高島音楽祭に、富江中ブラづバンド部が出演し準優勝
炎天の中、15時より小学校校庭で行われるが、今年は、五島富江中のブラスバンド部が出演(準優勝)。例年、老人の多い島に不向きなロックバンド演奏に新風を吹込み好評。

平成8年(1996)
第9回高島町音楽祭5バンド参加で開催
町民グラウンド野外特設ステージで、16時より5バンドの出演でアマチュアバンドコンテスト、島っ子倶楽部コンサート、カラオケ大会、DUCK SOUP コンサートが催された。

平成10年(1998)
「遊びの家」グループ来島
長崎市内のグループで、大人10名・子供25名来島し、端島をチャーター船2隻で一巡し、石炭資料館を見学し、海水浴を楽しむ。

8月3日 

昭和35年(1960)
元オリンピック選手の水泳指導
旧明大水泳部主将、アジア・オリンピック選手で、現長崎県体育指導主事の吉永健三先生を招き、山手プールで5日までの3日間。泳ぎ方教室を開催。

昭和45年(1970)
高島中学校野球部県中体連大会で優勝
8月6日優勝島内パレードを行う。

平成2年(1990)
第1回健康づくり推進協議会を結成
町では、町民のより良い健康を保持し、明るい健康な生活を築くことを目標に、総合的な健康づくり対策を推進するための協議会を、各界の代表をもって組織(任期3年)第1回の会議を開催。

平成3年(1991)
消防総合訓練センター誘致の案を、議会・全員協議会で報告
6月11日、前県経済部長により、全国で唯一設置予定の消防総合訓練センター誘致に高島町が名乗りを挙げてはとの話があり、町は積極的に誘致運動に努力するとの行政報告が行われた。

8月2日 

昭和47年(1972)
協和会館解体始まる
永年親しまれた映画館も、勤労福祉会館建設(47年9月29日起工式)のため、別館と共に取壊しが始まる。

8月1日 

大正11年(1922)
大正10年12月18日進水の戦艦「土佐」はロンドンの軍縮会議の結果、建造中止
大正11年8月1日夕顔丸他曳船4隻に曳航され、伊王島北方で警備艦に引き渡される。後日、「土佐」の縁りの地、四国土佐沖で魚雷の実験標的となり海底深く沈んでいった。マストが記念として、立神の丘に建立されている。

昭和21年(1946)
高島労組九全連指令のゼネストに反対「生産闘争」第一主義を表明
九州全三菱炭坑労働組合連合会(九全連)は6月28日結成、同時に17項目の要求を九州場所長会に提出、7月31日14時に傘下17炭鉱にゼネストを指令、高島労組は端島・方城・勝田と共にゼネスト反対、生産第一主義で要求貫徹すると声明文を2日組合長名で発表。

救国石炭増産運動(~31日)
目標突破報奨金として、坑内夫180円・坑外夫90円(内50円は封鎖)を支給。

昭和25年(1950)
保安規定を実施
24年8月12日鉱山保安法が施行され、それにより細部について種々審議の結果、6月8日認可となり、8月1日より実施。

高島協和会館で、初のストリップショー
この頃、映画は月に27本(日変わり)中6本は洋画を上映。

昭和33年(1958)
山手地区発足
蛎瀬地区が、610余世帯となったのに伴い分離して、蛎瀬地区の向かい側地区の210余世帯を独立させ、地区名を一般公募し、光町の田中氏の「山手町」を採用し発足。初代区長に松浦氏が就任。

昭和35年(1960)
緑ヶ丘地区発足
山手地区に次々とアパートが建築され、広大な地区となったので、今まで山手B地区と称していた29号から35号アパート群を、一般公募により「緑ヶ丘」地区と名付けて新しく発足。名付け親は。小国さん(蛎瀬)。

昭和41年(1966)
高島郵便局、私書箱を開設

役場が私書箱第1号。

平成6年(1994)
長崎平和記念協会の親子、一泊で来島
小9名・中6名・高1名・父兄8名・計24名来島、島内見学後、福祉会館に泊。夜は石炭を燃やし、その火で花火遊び、翌2日は、本町教会でミサ後、プールで遊泳し、午後の便で帰る。

平成7年(1995)
熊本県、高校社会科担当の先生が来島
20名、7時50分着で来島。ちょうど北海道に体験学習に出発する中学生を見送りの町長の歓迎の挨拶の後、教育委員会職員の案内で2班に別れ島内を視察。

平成8年(1996
「島の日」イベント、大波止ターミナル前で、高島町も出店

峰商店出店のほか、高島町職員によりパンフレットを配布。

平成9年(1997)
高島青空楽校開催

「島の日」の恒例行事となったが、長崎市及び近隣町から小中学校生200名参加。町長の話、救急法の指導の後、海水浴場で砂遊び、ゲームなどを楽しむ。

FM東京の任期番組「ヒルサイドアベニュー」が生放送
人気DJの小川モコと長崎FM香月アナが来島し、海水浴場から生放送されるが、県外からの「おっかけ」が来て大盛況。

平成10年(1998)
高島青空楽校を開校
島の日恒例行事となり、今年も長崎市より子供140名、引率30名が来島し、釣り公園、海水浴場で交流。昼食は食改善グループのカレー、午後は救急法の講習が行われた。

7月31日 

昭和20年(1945)
高島、米軍機の爆撃を受ける
31日と8月1日の二日間に、二子発電所・坑務・経理の事務所・二子社宅の一部が被災したほか、蛎瀬・本村方面にかけても爆弾が投下され、死者17名・負傷者38名の被害を受ける。発電所の被災で発電不能となり、坑内は水没し、廃坑の危機となるが、必死の復旧作業で9月5日に発電所は復旧したが、出炭までに約4ヵ月かかった。高島新坑も水没し、遂に廃坑となった。

昭和24年(1949)
ペーロン競漕を開催
坑務課内対抗(優勝 六卸下層、2位 六卸上層)。

昭和30年(1955)
うたごえの会第1回発表会を開催
1月、福岡市での炭労臨時大会でのヤマの合唱団の働く者の唄を聞き、これが動機となり高島でも「うたごえの会」が結成され、会員40余名の第1回発表会を開催。

昭和62年(1987)
小学校梅崎教諭、バイクでヤマの子激励のため一人で全国を訪問

7月30日 

昭和21年(1946)
戦災復興記念式典(協和会館にて)
昨年の今日、高島被爆を記念して開催、式典後素人演芸会を開催。

昭和59年(1984)
橋本亮氏、労働組合委員会で炭労委員長就任を承認

平成7年(1995)
第8回高島音楽祭を開催
今年はステージを、町体育館の壁を背に設けられたので日陰が出来、13時より出演グループ(11組)も楽に演奏が出来た。

平成8年(1996)
小学校の児童が体験学習。2泊3日、佐賀・福岡方面へ
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