山手地区商店街 



「蛎瀬銀座」とも言うらしい。
現在、営業している商店はありません。

コメント

懐かしいですね。でも、なんで山手側にあるのに蠣瀬銀座なのでしょう?
生協前バス停のそばにあった婆店のおばあちゃん怖かったあ!

ある本に書いてあったんです。私も知りませんでした。蛎瀬から登って来るからかな?
蛎瀬から登ってすぐ、一番端の駄菓子、おもちゃ屋さん「小野」さんて言ったかな、物心ついた頃から行っていました。

ガセネタでしたらお許し下さい。

坂を登り切ったところに、購買がなかったでしょうか。
また、名前の由来として、宅地として開発された山手より、炭坑として開発した蛎瀬の方が歴史が古いのではないでしょうか。

名前の浸透度から蛎瀬銀座になった。やっぱりガセネタみたいですね。

そうそう、駄菓子屋は小野さんです。子どもは婆店と呼んでました。怖いのに毎日のように通っていました。さむさんと一緒の時もあったかも。
現在うちの子どもが行く駄菓子屋のおばさんは優しすぎて物足りませんぞ。隣に床屋があって早くからカラーテレビがあったっけ。
購買は生協のことですよね?1割引でしたよ。確か。

>超問さん
総じてあの辺り一帯は蛎瀬でしょうね。山手地区はアパートの方を指すことが多かった気もします。
購買、ありました。

>ひーちゃん
たしかに年配の奥さんがいました。子どもの頃って、30くらいの人でもおばさんに見えたから、もっと若かったんですよね。成人後、行ったら覚えているような感じでした。
生協は前田酒店の近くの方じゃなかったでしょうか。

生協は、前田酒屋の近くでしたが、途中からバス停のほうにかわりましたよ。小野さんは貸し本屋さんで、途中からお好み焼きやさんになりご主人はベレー帽をかぶってキックボクシングの解説者の寺内大介さんに似てました。婆店は山手のバス停のとなりでゼッタイおばあさんでした。

生協が移転したのは知りませんでした。
貸本の小野さんも覚えています。漫画本を定期購読していたので、取りに行っていました。週刊、月刊のほとんどの少年漫画は借りて読んでいました。お好み焼きに代わっていたのですか。
婆店は後ろが理髪店だったから同じ店でしょう。先月山手アパートからの階段を歩いてきました。

小玉商店にはよく行ってました。
奥のほうに回転焼きの店がありましたね。菊田ちゃんぽん屋さんもあった記憶があります。
芥川商店(確か化粧品類)もありましたね。
  • [2006/04/02 02:04]
  • URL |
  • 端島支所下っぱ用務員
  • [ 編集 ]
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小玉商店は物心ついた頃から覚えています。回転焼きの店は夏になるとトコロテンを売っていましたか。
この並びに現在も住んでる家が一軒あります。

山手バス停の横の店は みんな「オモチャ屋」って呼んでました。
オバチャン かなり恐かったですね
奥の床屋サンは 井手さんじゃなかったですか??
あの階段のテスリを滑って遊んでたら、床屋さんの裏庭に落下↓ そのまま病院に運ばれ 麻酔なしで 四針縫われました。
私達が幼稚園に行く頃は
バッグ・上履き入れは 鉄人28号絵入りを買って貰うのが 流行りでした
皆さんはどうですか?

「おもちゃやさん」、小野さんでしたかね。そんなに恐かったですか?
ワタシは良く行ってました。日光写真の印画紙を何度も買った。日光写真、少し世代が違うと見かけなかったと思います。
大きなケガをしたことは無いんですが、竹を小刀で切っていて、その竹が腕の内側にあたって、ミミズ腫れのような傷になって残っています。
今思えば、結構危ない遊びをしていました。

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