北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと) 



碑文によると、慶応4年(1868)4月、佐賀藩とグラバー商会との合弁事業として、高島炭坑開発の契約が成立し、翌明治2年(1869)4月イギリス人技師モーリスを招き、日本最初の蒸気機関による立坑(約43メートル)を開坑、日産300トンを出炭した。
その後明治7年1月官営に移り、同年11月後藤象二郎に払い下げられ、明治9年まで稼働し廃坑した。

子供の頃、小島で泳いだ後、井戸で体を洗っていましたが、多分、この北渓井坑跡が井戸になっていたんだと思います。

コメント

おひさしぶりです

以前、Doblog - 石炭の島だった -高島・端島-でDVDをご紹介いただいたKurosawaです。
その後、『想像と記憶』の掲示板の方に気をとられて、こちらにはご無沙汰してしまいましたが、「光と風の記憶」に変わられたのですね。

それにしても、北渓井坑で水泳後の体を洗うとは!
つまり<日本の産業遺産史に燦然と輝く、国内最初の洋式竪坑を井戸代わりに使っていた(^^)>ということですよね。このエピソードには、びっくり致しました!
 



>Kurosawaさん
引っ越ししたんで、記事の移動は少しずつしています。もう一度、見てから書こうかなと考えていました。
何分、35年以上の記憶なので、定かではないんですが、他に井戸らしい記憶がなくて、もう一度、現地を確認しようと考えています。廻りに長屋形式の建物が井戸を取り囲む様な感じで建っていました。建物の中に北渓井坑跡があった可能性も捨てきれません。

先日のこと

先日高島へ伺った時は、元役場付近の遺構をさらっと見て回りましたが、仲山新坑跡が資材置場になっていたのは、ちょっと寂しかったです(;;)

高島に沢山ある遺構跡を、説明看板と一緒にアップして頂けたりすると、とっても嬉しいのですが。(blogにリクエストを出すなんて、申し訳ありませんが、高島の現在の遺構の様子を細かくアップしているサイトがみあたらなかったもので・・・)
 

そうですね、そのことも考えています。
在住していた時は、気にも留めずにいた事も今になっては貴重な歴史になっています。

南洋井坑

ありがとうございます!
とても楽しみにしております!

ちなみに先日高島へ行かせて頂いた時に、
南洋井坑を久しぶりに見ました。
そこで気が付いたことを
blogにアップ致しましたので、
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/4d2dbe089ae56b361408265e7809f341
お暇なときにでもご覧になってください。

※北渓井坑、南洋井坑、ともに味のある名称ですね!

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北渓井坑跡

江戸時代末期に鎖国体制が破れて近代化が始まると蒸気船の燃料として石炭の需要が急増しました。当時の高島は佐賀藩の領地で、早くから瀬戸内の製塩事業向けに採炭が行われていたのですが、佐賀藩は販路開拓のためにトーマス グラバーと組みます。こうして高島での採掘権を