高島カトリック教会 

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いつ頃、建立されたのかは知りませんが、本町下から登って行くとあります。
最盛期には信者さんも多くいて、修道女の方も見かけてましたから、常駐されていたのでしょうか。夕方6時に鐘がなって、遊ぶのを止めて帰宅していた記憶があります。
小学生の頃、一度だけ入ったことがありますが、それ以後はご縁がありません。

http://www1.odn.ne.jp/tomas/takasima.htm

コメント

おさむさん

そうして、いったん坂の下へ降りてから、教会を探しました。地番は来る前に調べていましたので道端に自転車を停め、表示を見ながら(どなたかに尋ねもしたかも知れません。記憶がうすれています)坂を登っていきました。
まっすぐの坂ではなく曲がりながらだったようです。十字架があるだろうからすぐわかると思っていましたが、なかなかそれらしい建物は見えません。

手元に『西海の天主堂』と題する木下陽一さんという写真家の方の本があります。生月島・五島・平戸・から野母崎・天草までの地域・海域の教会を収めた写真集です。伊王島の馬込
天主堂は入っています。でも高島は扱われていません。周囲3~4KMの島と聞いてたので無くてもおかしくはない、でもあればいいのに。迫害を逃れたキリタンがこんな、遠くの小さな島に渡ってきててもいいではないか、と思ってなお調べると「教会所在地」という冊子に高島教会の名がありました。



飛石さん

坂の下を降りすぎて、行き過ぎているのかな。
坂を下る辺り、左手の階段を登って行くと、あります。
現在は信者の方も少なくなっているようです。

おさむさん

ちょっと私の書き方が悪かったようです。なかなか見つからなかったんですが途中で、西彼杵の出津の教会にある建物のようなものに出会ってこれかなと思ったですが、それも違ってました。でもそれを左へ登ったところで目指す高島教会の階段の真下に出ました。門は閉まっていました。元の道路まで戻って撮った写真を引っ張り出して見るとおさむさんの言われるとおり、登り始めたところに階段があります(停めた自転車が写っています)。
そしてほぼ真上に教会の、先が赤っぽい(たぶん)鐘楼が望めます。後で読んだどこかの記述に、教会は島のいろんな場所から見えると書いてました。

それにしても、随分以前のことだと思われますのによく覚えていらっしゃいますね。鐘の音を潮に遊びを止めて帰宅するというのもいいですね。童謡『夕焼け小焼け』のお寺の鐘を連想します。

飛石さん

ああ、行けたんですね。
毎日、6時の鐘の音を聞いてましたからね。それを合図に夕食の時間に間に合うように帰宅していました。習慣だったですね。

おさむさん

ええ、暇取りましたけれど、行けたんです。書き始めてから、教会への関心への動機についても少し触れておかなければという気持ちになってそちらの方に向かってしまったものですから。探しあてたことを報告した後に触れてもよかったですね。

その後、また坂を下って、グラバー旧別邸とは反対方向へ向かいました。右手に旅館がありました。高島へ来る前に調べた折、この旅館と『ごへいた』さんの2軒でした。料金も参照しましたがとにかくフェリーの港から近い方がよいと思ったものです。でもこの旅館は古くからの由緒ある風情でした。
その先は上り坂だったような気がします。

飛石さん

その上り坂が「心臓破りの坂」と呼ばれていた坂です。
島内一周ランニングの時、一番きつい坂でした。

おさむさん

心臓破りの坂ですか?出発点がどこでゴールがどこかによってきつさも度合いが変わってきますね?私は学生の時に少しばかり卓球をやってたんですがランニングの終わりの部分は結構急な坂でした。1年に一回は坂の街神戸の繁華街まで下って行って帰りはその坂へと続く勾配を掛け声をかけながら登って行き坂の下から先輩をおぶっていくのです。よい思い出ではありますが。

ところで、島の一周は文献によって3kmとも4kmとも6kmとも書かれているのを見ましたがどこを計った数字なのでしょうね。おさむさんのいわれる島内一周はどんなコースでしたか?ちょっと興味あります。





飛石さん

確か、3kmくらいだったと記憶しています。双子地区を除いた旧本島の海沿いを一周するような感じです。
現在は運動公園や島の中腹を走るバス道路などがあります。

おさむさん

『旧本島の海沿いを一周する』道路と島の中腹を走るバス道路というのはあの国土交通省の航空写真(1974年)で確認できる道路のことですね。
周囲3kmというのは旧本島の周囲のことだったことがわかりました。それで6kmというのは今の全島の外周を考慮した場合のことだと思います。ところで双子地区というのが立て坑とやぐらがあったところというのは後で知りましたが場所がどこか、よくわかりません。それと、おさむさんが旧本島と言われたので思い出しましたが、上双子・下双子という言葉と今の高島は3つの島をつないでできたと聞いたことは直接関連していますか?
航空写真を拡大してみてもよくわかりません。

飛石さん

旧本島と書いたのは、島を一周する大きな道路とその後に出来た二子地区の道路を区別する為に、ワタシが便宜上書いた次第です。
高島、上二子、下二子、三つの島が埋め立てで一つの島になっています。
二子地区はグラウンドや住宅地、風車などが出来てます。

おさむさん

ご説明ありがとうございます。
風車のあるところって、島の南端ですね。小高い丘になっていたので島だったといわるとなるほどという感じです。。グランドとは、最初フェリーで着いたとき、私が目にした子供達がスポーツに興じたのはたぶんここだと思います運動公園のことでしょうか?

ひとつ気がついたのですが双子が二子に変わっていますね。

飛石さん

他意はありません。たんなる変換ミスです。
「二子」の方が使われてます。

おさむさん

「心臓破りの坂」の付近、左手は坂道沿いに木造の民家が並んでいたように思います。道自体にも人影はありませんでしたが、家も住んでいらっしゃるのかどうか、わかりませんでした。荒れている感じの壁もありました。しばらく行くと左手へ折れる登り道がありました。この辺り床屋さんがあったような、鶏舎のにおいがしたような気がしていますが記憶が錯綜しています。
私が契約している某生保会社の支所がシャッターを降ろしたままになってるのを見たときにはなんともいえない複雑な気持ちになりました。最大の顧客はやはり炭鉱で働いておられる方たちだったんだとすぐに思いました。


おさむさん

前後しますが、『二子』の件、納得致しました。パソコンの変換は便利だけれど、ついってこと私も経験済みです。訪問時のメモに二子とありまして、始めおさむさんの文章に双子とあるのを見て、念のために柿田さんの高島写真の説明を見ましたがやはり双子となっていたので、いったんは双子だと思いなおしたんですが・・・。私もこだわっていますかね?でも地名はその土地の人にとって、そのいわれ・読み方も含め大切なものだと思いましたので。

おさむさん

それからなお坂道を登って行きました。広い場所があってまた階段があってという記憶があります。学校と体育館が見えました。中学校と高校かなと思いましたが、どうもよくわかりません。そういえば小学校は、役場からまっすぐ北へ行った海水浴場の辺りと聞いたようにも思うし、でもそれらしい建物はなかったようだし。
高校はその頃すでに、なくなっていて小学校を中学校を同じ地区に移設したとか聞いた気もするしで頭が混乱しています。一部工事中だったような気もします。

おさむさん

学校には立寄りませんでした。いろんな事件が起こるような世の中になって学校関係者以外は近づきにくい状況もありましたし、学校自体は直接の関心事ではありませんでしたので。
学校の下辺りは段々畑状になっていました。平らな土地の1区画に杭が一本あり近寄って見ると、緑が丘○○号と書かれてあります。これは明らかに炭住跡だ、ごへいたさんの手前でお尋ねしたとき女の方が言っておられたのはここのことだったんだと確信しました。

おさむさん

撮った写真を出して見ています。
やぐらが組んである円弧状の屋根を持った建物があり(体育館?)その前に緑ヶ丘37号跡と読める杭が立っている区画があります。向こうには海が広がっています。学校が真正面に見える区画は緑ヶ丘35号になっていて添え木をした苗木がたぶん1m以上に育っています。学校を左に望む位置に38号・39号・40号跡地が、その他に29号・31号・32号・33号の跡地が写っています。雑草が伸び放題というのではなく手入れされた感じがします。果樹か常緑樹か木が植えられています。斜面の舗装された道路を登ったり下ったりしながら写真を撮りました。

おさむさん

それから下の道路へ降りて自転車のところへ戻りました。割と深い谷になっていて渡れなかったように思います。
それからいったん宿へ帰りました。
橋口自転車店の手前にあるお店で食べ物を買って宿で食べました。
教会の場所はわかったけれど心残りがあったので、思い切って宿の職員の方に相談してみました。すると責任者の方でしょうか、がわざわざ私をお隣の役場まで連れて行って、そこで私の意図を伝えてくださり、また役場の方が教会の方に連絡を取ってくださいました。再び、教会を訪問すると門が開いており、しばらくの時を過ごした後、電話で終わった旨をお伝えすると戸締りに来てくださいました。少しの間そこでお話を伺いました。
私の記憶違いでなければ往時は800人ぐらいの教会だったこと。でも今は50人ぐらいとのことでした。島の大きさを思うと建物も内部も立派なのもうなづけます。                 お世話になった方々にあらためて感謝申し上げます。                         お世話になりました。ありがとうございました。
 





おさむさん

ほんとうにそう思います。
下の道路の海側に共同浴場がありました。営業しているのかどうかはわかりませんでした。自転車を走らせてゆくと海岸に突き出たところに平たい屋根の建物が見えました。
なんだろうと思って降りてみました。
かなり広い敷地で地面は舗装されていましたが人の気配もありません。中ものぞけませんでした。表に碑が建っていました。慰霊碑で『高島鉱に眠る人々よ安らかに』と刻印してあります。その辺りの海岸は海中に岩礁が突き出ていて印象的でした。宿の方向を目指して見通しのよい海岸沿いを行くと右手のそんなに遠くないところに、島が見えました。あれが端島なんだとすぐわかりました。

おさむさん

ここまで巡って来て、当初名古屋から電話で役場の方から聞いたようにボタ山も坑道の入口とかももうわからないんだろうなという気がして来ました。
宿の前の道のそばの店でまたちょっと買い物をしてそれでそこの女主人というか気さくな方でいろいろ話をうかがいました。その中でだったと思いますが石炭資料館というものがあると知りましたので行ってみることにしました。



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高島教会

小島漁港の集落の坂道を登って行くと、やがて鉄骨造の小さな塔が見えてきます。最初は火の見櫓かと思いましたが、よく見ると鐘や十字架があることから、ここが私の目指す場所だと分かりました。高島教会です。