アパートの台所 



二子の七階建てのアパートの台所。現在も建物はあります。建設は1970年過ぎだと思います。設備は廉価なステンレスキッチンを中心にコンパクトにまとめられて、当時の高島の平均的な家事用品だと思います。
初期のアパート(蛎瀬地区)はコンクリート製の流し、水洗トイレも古いタイプの物でした。

コメント

先端的な生活

写真を拝見しましたが、70年頃の光景というのに驚いています。昭和40年代の台所の風景とはとても思えません。ガス台も2連式のものでしょうか。その手前にあるのはただの炊飯器ではなく、炊飯ジャーのように見えます。また窓枠もシルバーのアルミサッシのようにみえます。
端島では、13号棟の台所とかがこんな感じだったのでしょうか?閉山後しか知らないのでわかりませんが、少なくとも現存する端島の住宅棟から想像する当時の台所と二子の台所だと、明らかに二子の方が新しく感じたんではないかと思いました。
 

端島の13号棟は'60年後半の建設でしたかね? 見ていないので分かりませんが、高島に限らず、日本全体が70~74年くらいの頃、大きく様変わりしているように感じます。
都会の公営団地と比べた遜色はなかったでしょう。間取り、広さ(畳の部屋が3つ、6畳、6畳、4.5畳、キッチン)にしても以前のアパートよりも上まわっていました。古いアパートは建て具は木製の物でした。入居している人を見ると、二子のアパートは三菱の社員よりも下請け、退職者の為の町営住宅として建てられたのではと思います。戦後の木造社宅が老朽化していましたから、蛎瀬地区などの下請け社宅が移って来た様な感じでした。
電気製品も普及率は高かったでしょう。

高島のアパート

70~74頃の大きな様変わりは、やはり高度経済成長のおかげでしょうか。
退職者のための住宅、という発想もあったのですね。高島の全盛期には、高台にも沢山高層アパートが建っていますが、やはり端島同様、三菱の社員は上の方だったのでしょうか。
また次の記事の写真を拝見しましたが、二子では高層アパートと木造長屋が混在していたのを知りました。

高層アパートは三菱の社員専用でした。それも鉱員用と職員(幹部社員)用は区別されていました。職員は仲山地区や金堀地区に木造の社宅がありましたが、'74年当時古い木造アパートは使われていないものも多く、多分職員用に高層アパート(尾浜地区あたり?)が使われていたのではと思います。
主に山手、緑ヶ丘地区のアパートが鉱員用に使われていました。
閉山時には蛎瀬地区の古いアパートは下請け社員用に使われていたような記述が本にあります。

整理がついたものから、順に写真をアップしていきます。

ありがとうございます

高島のアパートのお話、ありがとうございました。
まだ高島のアパートに関しては、全然頭で思い描けない状態ですので、ぼちぼちと勉強させていただきます。
写真、楽しみにしております。
 

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